俺は夢の中にいた(回顧録◆

第2期生の話。

 

戦闘力:英語100、数学60、国語70、理科50、社会80。その他+α=総合力85

 

塾開校の時、2期生はちょうど小学校を卒業し中学に上がるタイミングだった。このクラスははじめ1名入ってきて、公文に通っていたそうで、計算は早いが、まあ字は汚い生徒だった。2日目に塾がある日を忘れたこともあり、先が心配だったが何はともあれ来てくれて嬉しかったのを覚えている。同じ学校からさらに2名入った。開校時のチラシを読んでくださり、塾の方針に感銘を受けたということでこれもまた有難かった。どの生徒も反応がよく、出来もまずまず。明るいのが何よりいい。人間は明るくて綺麗なところに集まる傾向があるが、これは建物の外観に限ったことではなく、構成メンバーが創り出す雰囲気にも言えることだ。

 

俺の感覚は的中し、1人、また1人と口コミや生徒の紹介、保護者の紹介でこのクラスは同じ学校から男女バランスよくどんどん増えた。良く笑い、みんな仲がいい。中学に上がってからの点数も良好で、それがまた評判を生んだ。英語は完全に感覚を取り戻していた。他の教科は定期試験や質問の場数を踏みながら少しずつレベルアップしている実感があった。しかし、アドリブ(咄嗟の作問や質問対応)に弱く、そのもどかしさはいつもあった。

 

しばらくして、経営的には安定しているこのクラスに何か違和感を覚えていた。明るく反応が良いのはいいのだが、1人が話し出すと他の生徒がそれに反応し、いつの間にか教室が「先生不在」の雰囲気に流れようとするのである。俺がこの流れを戻そうとしても、生徒同士の「指揮者(俺)がいない勝手な演奏」が止まらない時があった。この頃から俺は生徒を厳しく怒るようになった。少人数の塾なんて雰囲気が何より大切だ。生命線である。ここが崩されたら、学習においてクラスだけでなく生徒個人の頭の中に何も積み上がらなくなる。これは絶対に避けなければならない。しかし、気が付いたときには既にマズイ状況になっていた。必要以上に生徒同士が仲良くなり、塾が「悪い意味で」自分たちの居場所になってしまった。ある時、1人の女子生徒が俺に怒られ、泣きながら故意に授業を妨害した。しばらく突っ伏して泣いていて俺は放っていたのだが、あろうことか、授業中に離れて座っている他の中学の仲良し生徒を名指ししてティッシュを持ってきてと頼んだのだ。名指しされた生徒はさすがにバツが悪そうにうつむいていたが、俺に怒られたその生徒はその後席を立ったかと思うと、矢庭に窓を開けて階下に飛び降りようとしたのである。授業を中断し、塾から外に引きずり出して話をしたが埒が明かず、家の人に迎えに来てもらうことになった。この日の授業はメチャクチャになった。

 

この生徒だけではなく、多くの塾生にとって塾が「楽しい(遊び)場所」になって、同時に「夜に友達に会える(遊び)場所」になった。成績はだんだん伸びなくなってきた。最初よかった生徒も、定期試験では努力で取れる国理社で明らかに手を抜くようになってきた。クラス内の出来の差も大きくなり、学力的に厳しく手がかかる生徒が立て続けに入ってきたこともあり、生徒は増えるものの運営がだんだん厳しくなった。

 

運営が厳しくなると、特に俺のように1人で塾を回す人間は焦ってしまい余裕がなくなってくる。余裕がなくなったリーダーは視野が狭くなり、感情のコントロールが難しくなる。短気になり、強引なやり方、たとえば怒り(恐怖を与えること)でチームを統制しようとしてしまう。俺もそんな感じになることがあった。板書を何度も写し間違える、確認テストで不合格になる、生徒同士の物の貸し借りの時に投げて渡そうとする。そういうことを見ると、普段の感情の5倍ぐらいの怒りで生徒たちを怒鳴りつける。何とか雰囲気を立て直したい一心で授業中に何度も話もした。1度、予め頼んでいた試験範囲表を誰も持ってこないことがあり「何だこの有様は!今から取りに帰れ。さもなくば君たち、全員退塾だ!」と言ったこともあった。このクラス、本気で全員退塾させようと思ったことは何度かある。

 

その後もなかなか雰囲気は改善されない。彼らの意欲も上がってこない。中2の途中から、約束を守れなかったり、虚偽を働いたりが原因で何人もの退塾者を出した(ほとんど退塾させた)。結局、一時期、十数人いたメンバーの多くが中3に上がる前に退塾した。新しいメンバーも入ってきたが、中3の夏合宿以降も俺にとっても生徒にとってもギリギリの指導が続いた。中3の貴重な授業時間に、何度も時間を潰して説教した。個別にも、生徒が震え上がるほど怒ったこともあった。イベントで何とか雰囲気を変えようともした。年末、徹夜勉強会をやったのもこの代である(そしてこれがあまりにキツかったのでそれ以降はやっていない)。直前期にまで退塾者を出し、最後に残ったメンバーは7名になった。

 

最後の授業で話した内容は覚えている。「君たちにはまだまだ説教しなければいけないことがたくさんあったけれど、残念ながらもう時間が来てしまった」。そんなことを話したと記憶している。

 

トップ校2名の合格は出したが、同じく2名のトップ校不合格を出した。最終的には7名中3名の不合格を出してしまい。1期生の11名中10名の合格に比べると、非常に厳しい結果となった。

 

2期生を送り出した後、とにかく疲れた。塾長として極めて不謹慎ではあるが、彼らが卒塾した寂しさよりも「ああ、やっと終わった」という解放感が大きかった。それはきっ彼らも同じ。俺たちはお互いに「塾から解放された」のかもしれない。俺が2期生から学んだことはたくさんあるが、その中でツイッターにも書いた記憶があるのは「初期に反応がよく、先生によくなついているクラス、生徒同士仲のいいクラスに注意せよ。その雰囲気を冷静に見極めよ。さもなくば必ず馴れ合いと横並び志向に雰囲気は停滞し、それを元に戻すことは困難を極める。」ということである。

 

お互いに「もういい」と思っていたであろう2期生。しかし、人の気持ちは分からないものである。彼らが卒業して最初の俺の誕生日に、みんなで押し寄せて差し入れを持ってきてくれたのだ。それから、2期生で最初に入った生徒で、俺が1番怒った生徒が別の機会で塾に遊びに来たのだが、彼がトップ校受験するとき、会場で群れを成す県下有名大手進学塾の生徒を前にして「俺はロカビリー塾の生徒だ!お前らなんかに負けるわけがない!」と思っていたことを教室で後輩に語っていたのを聞いて涙が出た。高校でも勉強の相談に来た生徒もいた。ほとんどの生徒が大学合格を直接報告しに来てくれた。

 

約束を何度も破って塾を辞めさせた生徒は、その後何度か街で俺に会ってもきちんと挨拶をしてきた。その生徒は別の塾に行って高校に行ったが、高校を卒業するときも俺に人生相談しに来た。

 

ものすごく手を焼いた生徒たちだったから俺は激しく怒った。彼らはきっと恐ろしかっただろう。しかし、俺の思い上がりかも知れないが、彼らは心のどこかで塾を愛してくれていたのかもしれない。俺を信頼してくれていたのかもしれない。まだ十分ではない当時の俺の教科指導だったが、俺は彼らに翻弄され、思い通りにことが運ばず、精根尽きるほどエネルギーを失ったと思っていた。しかし、それは違った。俺は彼らから大きくて温かいものを受け取っていたのである。2期生の指導のお蔭で、俺は間違いなく塾長として相当なパワーアップを遂げた。

ロカビリー * シリーズもの * 22:52 * comments(0) * -

俺は夢の中にいた(回顧録 

第1期生の話。

俺の戦闘力

(英語90・数学50・国語70・理科40・社会80・その他+α=総合指導力75)

第1期生はいろいろな意味で思い出深い。俺の塾は2006年春期から生徒を募集したが、初年度は中3クラスは開講しなかった。コンセプトが「普通の成績の子をトップ校へ」だったので、最低でも指導期間は2年欲しかった。それに俺は元々文系教科指導の人間で、理科と数学の指導経験はほぼない。数学は開塾前の1年間、個別指導塾のアルバイトで基礎テキストレベルの経験を積んだが、理科に至っては開校時点で完全にゼロである。この地域のトップ校に合格するには苦手教科があってはならない。どの教科も万遍なく得点力をつけなければならない。生徒にそのような力をつけなければならない中で、俺自身の知識や経験不足を十分に自覚していた。開塾前から県の入試問題を解いたり、参考書をまとめたりしながら「自主勉強」はしていた。しかし、実際の指導となるとまるで勝手が違うはずである。1期生から結果を出さなければ、すぐに地域に埋もれてしまうと思っていたので、開塾1年間は現場での指導を積みながら「受験指導」の構想、知識の仕入れ期間に使おうと思った。このブログで何度か書いたが、結果としてこの作戦は短期的には経営的には大きな痛手を被り、秋には資金ショート寸前まで追い込まれた。しかし長期的には、1期生から地域に注目されるぐらいの結果を出すことができたおかげで、その後の「トップ校のための塾」イメージが定着するきっかけとなった。

開塾当時「トップ校をめざす塾」と明言する塾はなかった。塾は近隣に10ぐらいあったが、どこも生徒数確保が第1であり、定期試験の点数を上げ、とにかく公立高校合格をめざす塾が最も生徒を集めていた。そんな中で俺は敢えてトップ校、しかも高校名を具体的に挙げて広告を打って出た。地域で何の実績もない新参者の塾がいきなり強気の宣戦布告である。

ビギナーズラックという言葉がある。塾や私立高校も、ビギナーズラックとは少し意味が異なるが、強気の宣伝をすると初年度はそれに期待して優秀な生徒が入ってくる場合がある。何の実績もないのに、新設ということと、トップを目指す塾(学校)であるということが、優秀な生徒の保護者の期待感をくすぐるのである。しかし、それに甘えて受け入れる側に知性が無かったり、彼らを育てる腕が無かったりすれば、その期待はたちまち裏切られた落胆と不信に代わり、評判は坂道を転がるように落ちて行く。そのような塾がすぐに姿を消したり、難関国立クラスを設置した私立高校がその後すぐにクラスを閉鎖したりする話は枚挙にいとまがない。

俺の塾では、中2の1期生が2名入ってきた。どちらも男子である。1人は大人しい子で、成績はオール3ぐらい。しかし、数学は好きで4だった。大人しいけれでも、俺が話しかけると笑顔で反応する。この子は伸びると思った。もう1人は、小学生の頃は他塾に通い、中学では通信添削をやっていた。利発な生徒で、はじめから相当に優秀であった。実際、中学でも成績優秀で認知されている生徒だった。この生徒が俺の塾に通ってくれたおかげで「今度できた塾に〇〇君が通っているらしい」という噂が立ち、あの子が通うならちょっと問い合わせてみようか、という流れができた。この生徒は入塾後も、俺をよく慕ってくれて塾に楽しく通っていた。幸運なことに、もう1人の大人しいオール3の生徒も、真面目で俺が言ったことを素直に実行してくれる生徒だったので、学校で目立たなかった成績が見る見る上昇し、以前の彼を知る生成優秀者が次々に抜かれ、それが注目され評判になり問い合わせや入塾へつながった。あらためて思うのは、塾にとって最大の広告は「優秀な生徒」と「優秀になった生徒」ということだ。

その後、生徒は少しずつ増え、彼ら1期生が中3に上がる頃には10名になっていた。(最終的には11名)4つの学校から集まった彼らは男女なく仲がよく、明るかった。1人1人しっかりした生徒が多かったので、俺が全体に怒ることはあまりなかった。俺の指導力と言えば、冒頭に書いている通り、今思い返すとかなり酷いモノだったと思う。数学はテキスト解説通りでしか解けず、理科の質問には即答できないことがしばしばあった。毎回、屈辱に叩きのめされ、歯ぎしりをしながら「二度とこんな思いはしないぞ」という怨念を持って教科書を読み直し、他の参考書等で調べ上げ、問題を解きなおした。彼らやその保護者たちは、そんな俺の指導に不満1つ言わず、全面的に信頼してくれたが、それがますます俺を奮い立たせてくれた。


それでも英語の指導だけは自信があった。恐らく、初年度から地域で英語指導だけはどの塾にも負けていなかったはずである。1教科でもそういう武器があれば、指導の要になる。他の教科で多少の不足があっても、そこで求心力は保たれるし、教科の違いはあれど、高校生に比べると高い専門性を要求されない中学生の教科指導の場合「指導の肝」「持って行き方」はだいたい共通している。そういう意味では、1教科でも極めているものがあると、その後の研究さえ惜しまなければ他教科への波及はそれほど難しくない。


俺は当時すでに37歳だったが、情熱だけで突っ走る1年目のルーキー先生のような塾長だった。教科の知識や指導の不足は生徒たちが各自で補い、俺は彼らに勉強に関係のない人生論をよく語り、そういうことが結果的に彼らの塾や勉強に対するモチベーションを高めた。俺の立ち位置はほとんどビーバップ予備校の大和龍門だった。

不合格者を1名出してしまったが、11名中3名の公立トップ校合格を始め、私立を含めると2番手校以上に10名が進学するという地域でも突出した結果を出すことができた。俺自身は塾の仕事以外でもかなり苦しい1年だったが、この1期生たちとの出会いは、俺の塾が地域で信用を得るとてつもなく大きな1歩になったことだけは間違いない。俺は明るく真面目な彼らのことが人間的にも好きで、毎回授業を楽しみにしていたものだ。

金もない。信用もない。知識や技術、そして塾長としての経験もない。俺にあったのは生徒や保護者に誠実を尽くす決意、覚悟、理想。あとは根拠のない自信と、負けてたまるかという気合いだけだった。


 

ロカビリー * シリーズもの * 23:02 * comments(0) * -

回顧録を綴るにあたり

久しぶりにブログを書く。俺がブログを書き始めたのは楽天ブログだった。10年前、2006年に塾を開いてから間もなくのことだった。その後、このジュゲムのブログに移り、ほぼ毎日のようにブログを書いてきた。塾の営業や宣伝が目的ではなく、むしろ言葉にするのが憚れるような清廉な理想や怒りに任せた本音の言葉をこれに叩きつけたかったので、匿名「ロカビリー」でずっと書いてきた。特に誰に向けて書いてきたわけではないが、誰かに読んでもらえたら、届いたら・・・そんな気持ちで書いてきたところはある。知り合いもなく個人塾を1人ではじめた俺にとって、このブログは唯一の「対話の時間」だった。文字になった己の内心つまり自分自身との対話であり、内観の機会であった。

そうするうちにアクセス数、つまり読んでくださる人の数が増え、俺が刺激を受けてきた全国の辣腕塾長たちに見つけていただき、ご紹介いただいた。それでまたさらに読んでくださる人が増え、直接会いに来てくださる人、俺が訪問させていただく間柄になる人までご縁ができた。言いたいことを言い、書きたいことを書いてきた結果として、市井の凡百な塾長としては分不相応で過分な評価をいただいてきた反面、いろいろなところで厳しいご批判やお叱りも受けてきた。これはリアルでも同じ。時代に逆行したような塾を運営し、子どもや保護者、地域に対して時として対決姿勢でやってきたので、ありがたい支持をいただいてきたけれども、恐らくは俺の塾の方針や塾そのものをよく思っていない人たちもいるはずである。いつの時代でも、どんな場所でも、明確な発信には明確な賛否が生まれる。

しかしそれらすべてが俺の塾である。

この3月、第9期生7名を送り出したところで俺は1つの区切りを迎えた。俺が開いた塾は、若き塾長によってセカンド・チャプターがはじまる。

そこで今回、回顧録として第1期生から9期生までの指導を、鈍行列車で故郷を訪ねるようにのんびりと綴りたい。四季が巡るように、塾長の内面にも時期に応じてさまざまな変化が訪れる。とても小さな地域の、さらに小さな個人塾の塾長の話ではあるが、これもまたどこかの塾長、1年目の方、5年目の方あるいは10年目の方の目に留まり、わずかでも心にひっかかり、お役にたてれば幸甚である。
ロカビリー * - * 20:29 * comments(4) * -

できない子には「途中がない」

俺の塾に入ってくる生徒の大半は、成績が下がってから来る生徒だが、頭の回転(理解力、暗記力)がよく、単に勉強する機会がなかっただけの生徒はほとんど問題なく上がる。(むろん、ある程度まで上がってからは個人差が大きいが)

しかし、学年に1人ぐらいは「上げにくい生徒」がいる。俺は学習能力に何らかの深刻な困難がある場合を除いては、上から下までどんなレベルの生徒でも学力を伸ばし点数を上げてきた自負はある。そうは言ってもやはり、こちらが相当骨を折る生徒が毎年1人はいることは確かだ。この手の生徒を教えるのは指導者のこちらも大きな負担を強いられる。時間的にも手間も、シビアな見方をすれば他の生徒と同じ月謝ではとても間尺に合わないぐらいの労力を使う。

熱心な塾講師の方なら、たぶん1度はこんな経験があるはずだ。

ヤル気がないとか、素直でないとか、塾をよく休む生徒なら論外だ。しかし、彼ら(できない生徒)の多くは基本的に素直で塾も休まない。単語テスト等の確認テストも一生懸命覚えてきている。詰め込みが効く定期試験であればそこそこいい結果が出るのだが、実力系のテストになると途端に大崩れし、数週間もすれば1度覚えたはずの内容もきれいさっぱり忘れてしまっている。

単純暗記についてもそうだ。たとえば一問一答を同じように勉強しても、その場ではきちんと覚えられる。しかし、できない生徒は少し問題の文言や設定が変えられただけで答えられなくなる。この状況で、生徒側に責任転嫁はできない。「なぜだ・・・なぜだ・・・」と指導者は悩みながら時間だけが過ぎてゆく。

計算ができない生徒は途中式を書かない。いきなり答えを書いてまちがえる。途中式を書くように強く促すと、数問は何とか書く。しかし、次の授業ではまた途中式を書かなくなる。やり直しもそうだ。間違えた問題は「なぜ間違えたのか」をきちんとメモし、1度自分で解き直したら次へ進むように指示していても、必ず何問かは「わからないまま通過」している。
「お前は楽をしたいんだろう!」「いつまでそうやってズルをする気だ!」「わからないところをそのままにしないという、こんな簡単なことさえできないのなら塾をやめてしまえ!」

俺も分析が浅い頃はこうやって生徒を怒鳴りつけて泣かしてばかりいた。しかし俺はある時、1人のできない生徒の動きを観察していて1つの仮説を立てた。「もしかして、できない子には『途中』がないのかもしれない」。

素振りを100本する。同じ100本でも「ただ、回数をこなす」場合は、1本目と2本目の間、2本目と3本目の間には何もなく100本まで行くだろう。一方、「相手の動きや球の軌道をイメージしながら振る」場合は、0本目から1本目、1本目から2本目の間に「途中」がある。効果には大きな差が出るだろう。

リズムを取る。「ワン ツー 、ワン ツー」とリズムを取るならば、そこには深みは何も感じられない。深くリズムを取れる人は同じ拍数の中で「ワン(カッ)ツー 、ワン(カッ)ツー」さらには「ワン(カッカッ)ツー、ワン(カッカッ)ツー」という取り方をする。「ワン」「ツー」の間に本来ならばないはずの「途中」が存在するかしないかでリズムの深みは断然変わってきてしまう。

もしかしたら、素振りにしても、リズムにしても「見えない(聞こえない)途中をイメージできるかどうか」は資質の部分に関わることなのかもしれない。しかし、俺は訓練によってある程度まではできるようになると思う。

計算問題で√8=2√2と覚えることがあるとしても、歴史で1221年=承久の乱と覚えるとしても同じことが言える。その場での暗記ならばそれほどの差は出ない。しかし、できない子は途中がないので応用は効かず、そこで記憶が死んでしまう。あくまでイメージとしての話だが、できない子は「ワン ツー」のリズムと同じで文字そのままを丸暗記する。恐らくできる子は√8と2√2の間に「√8(=√2×2×2=√2の2乗×2)=2√2」があり、1221年と承久の乱の間に「1221年(=鎌倉時代=北条氏の執権政治⇔後鳥羽上皇)=承久の乱」という途中が入っているはずだ。その途中部分がだんだん速く処理されていくうちに無意識の中にまで溶け込んでしまい、一見「ない」ように思えるだけだ。

できない子は授業中も「答え」に執着する傾向がある。途中は(どうでも)いいから、とにかく答えを知りたい。答えに執着すると「過程(答えに至るまでの着想から手順)」は等閑になり、はては「設問」への関心も薄まってしまう。そうなると応用が利かないのは必然だ。反対に、できる生徒は、過程や途中、設問への意識が強いがゆえに応用力があると言ってもいい。

目標設定もそうだ。できない子の目標は現状とあまりにかけ離れて(高くなりすぎて)いることが多く、結果的に「口だけ番長」になりやすい。いい結果を求める気持ちがある反面、そこまでのストローク、つまり「途中」を現実的にイメージできないからだろう。

ところで、「反復」という勉強法がある。「反復」は学習で有効な手段だ。これはあらゆる分野の指導者にとって異論はないだろう。しかし、人間は本来1度やってしまったものには興味を失い、当然、省みることもない性質があるように思う。そう考えると、「反復」そのものが人間の感情に逆行する行為と言えるかもしれない。それなら反復が有効で単純な手段でありながら、徹底する人が少ない理由もわかる。武道や芸事では、「反復」によって人が自然に持ち合わせる感情に逆らい、「稽古」という反復によって技の習得と同時に精神修養もできるようになるのだろう。できない子の反復は「作業化」しやすい。彼らは「やった回数(よくても答えが合う回数)」に意識が偏り、「問われている内容を深める」ことができていない。「反復にも『途中』を持て!」。俺が最近生徒によく言うことばである。問題と答えの間に存在する途中を意識しながら反復すること。そして、何度目であっても「1回目」のフレッシュな気持ちで取り組むことだ。そうすれば、同じ問題を解いていても2回目では1回目の時には見えなかった新しい発見がある。

「できない子には『途中がない』のではないか」。俺にとっては大きな発見である。たぶん、この「途中」は、おもに思考力と想像力で構成されている。こういう生徒は実は多いのではないか。そしてまた、こういう生徒を「気合いが足りない」と一刀両断にしてきた俺のような指導者がたくさんいるのかもしれない。

できない生徒を教えるのは決して楽ではない。いや、正直に言って苦しい。思うように進まず腹が立つこともある。彼らにとって存在しない「途中」を構築するのは、ひ弱な更地に建築物を拵えるような困難を極める作業だ。

藤山寛美だったと思うが、娘に「自分を死ぬほどいじめた人間が、自分を1番鍛えてくれるんだ」と言っていたらしい。なかなかできるようにならない、彼らのような生徒を教える機会があったから、今の俺がある。

そう。俺を苦しめた「『途中』のない生徒たち」は、間違いなく指導者としての俺に「途中」をつくってくれたんだ。




 
ロカビリー * 教務のブルース * 19:08 * comments(8) * -

塾の謎2(1人称と生徒の呼び方)

人と関わる時、それが初対面であっても、家族であっても、恋人であっても、あるいは師弟であっても「ことば(特に呼び方)」によって関係の緊密度や距離感がわかる。言葉は人間の心的距離そのものと言ってもよい。

ここでは、俺の塾においての「1人称、生徒の呼び方」について触れてみたい。実は、この内容も以前のエントリー「おれぼくわたし」というタイトルで書いた記憶がある。重複する部分もあるかもしれないが、ご容赦いただきたい。

まず、1人称について。指導者が自分のことをどう呼ぶかであるが、おおよそ「先生、ぼく、おれ、わたし」のいずれかだと思う。俺の場合、塾講師を本格的に始めた20代前半から1人称はずっと「俺」だった。それは自分の素のキャラクターに最もマッチした呼び方だったからである。ちなみにこの頃の俺は、ポマードべっちょりのリーゼント、薄いブルーが入ったメガネ、荒っぽい口調というキャラクターで、生徒にとってその格好と「俺」は極めて「自然」であったはずである。それから途中5年のブランクがあり、独立してからも4年間は「俺」だった。その頃俺は既に30代が終わり、40代を目の前にしていた。この時、自分の中で「違和感」を覚えていた。自分の呼び方は、自分にとって1番自然なものがよい。ここで感じた「違和感」は、明らかにそれまでの「俺」に対するものだった。自分の中では「わたし」を使いたい、というよりも自然に子どもの前で「わたし」と言える人間になりたい気持ちがあった。ただ、俺の精神年齢が低いのか、大人相手には「わたし」と言えるのに、生徒の前で「わたし」と言うのがなぜか恥ずかしい。さすがに、恥ずかしいと思ってしまう1人称は使わない方がいい。「ぼく」ならどうだろう?そう言えば、サラリーマン時代や大人相手に付き合う時、親しくなるにつれて1人称は「わたし→ぼく」に変わる。よほど親しくなると「俺」になる。だったら、逆走して考えて、今までが「俺」だったのだから、「わたし」の1つ前の「ぼく」なら言えるかもしれない。年度の変わり目からさっそく実践してみた。

しかし、難しかったのは、以前からいる生徒ができるだけ不自然に感じないように配慮することだった。俺の塾ではそれまで、小学生(先生)、中学生(俺)で統一していたが、「ぼく」導入の初年度は、小学生(先生)、中1(ぼく)、中2(俺)、中3(俺)2年目は、小学生(先生)、中1(ぼく)、中2(ぼく)、中3(俺)。「先生→ぼく」への変化は、以前からいる塾生にとってそれほど変な感じはないと思った。そして3年目、ついに小学生(先生)、中学生(ぼく)が完成したのである。この間、苦労したのは、ご存知の方もおられるように、俺の塾は2教室を同時に動かす「ダブル授業」で、移行期間では隣で「俺」と言った直後に、すぐ横の教室では「ぼく」と言わなければならないことだった。最初の1年は「ぼく」なんて言い慣れないことを言うのは少し恥ずかしかったが、今ではすっかり板についた。

1人称は「相手への敬意」の1つだ。だから俺は少なくとも、指導者が1人称を「先生」と言うことには強い違和感があるし、相手が小学生ならまだしも、中高生相手に自分のことを「先生」と言う教師がいたら、俺が中高生ならちょっと生徒に対して敬意がないな(=こちらを子ども扱いしている)と思うか、自分のことを先生とか言ってるよ、と痛々しく感じると思う。まあ、結局のところこの辺はすべて自分の感覚でやっているのだが、中高生の感覚としては大きくずれていないと思っている。

次に生徒の呼び方について。これに関しても、苗字、下の名前、君づけ、さんづけ、呼び捨て、さらにはニックネームまであるだろう。地方に行けばいくほど呼び捨てが一般的で、女性の先生ですら生徒を呼び捨てで呼ぶこともある。俺についていえば、20代の頃は基本的に「名字呼び捨て+お前」だった。ただ、同じ姓がいる場合は「下の名前呼び捨て+お前である。生徒の間でニックネーム、たとえば誰かを「チョロ」と呼ぶことが浸透している場合は、俺もニックネームで呼んでいたこともある。この頃はこれでよかった。俺も若かったし、生徒との実年齢も精神年齢も、心的距離も近かった。俺は生徒にとって「アンチャン先生」だったし、俺もそのような存在を望んでいた。

しかし、独立してからは、生徒の呼び方に関しては1年目から統一していた。これは自分が塾を開く前からずっと決めていたのだが、男女問わず「〜くん」と呼んできた。それから「おまえ」とは言わず「きみ」と言うようにしてきた。これは俺が彼らにとってどのような先生でありたいか、どのような塾でありたいかの姿勢の表れであり、言い換えれば、やはり生徒に対しての敬意である。たぶん、全国でもこのような呼び方はあまり多くないと思う。特に女子生徒を「くん」で呼ぶ先生は今ではあまり聞かない。実際、生徒も初めは驚く子もいる。だが面白いもので、慣れて来ると、彼ら(女子生徒)も「くん」で呼ばれることで、「塾という場所」「俺と言う人間」を満更でもなく新鮮に感じてくれているように思う。

このことに関しては影響を受けた先生がいる。それは俺が中学の3年間通った個人塾の先生だった(このブログでも何度か書いている『最強講師列伝』)。田舎の口の悪い教師が多い中で、この先生は男性であるにもかかわらず自身のことを「わたし」と呼び、生徒のことを全員「くん」で呼ばれていた。もちろん「きみ」と呼ぶこともあった。(ただし、スパルタ塾だったので、殴られるときは呼び捨てで「貴様!」とも言われた)

俺はこの時、言葉遣いが綺麗な大人(男性)に人生で初めて出会った。しかも、先生はいつも香水をつけておられて、古い小屋のような塾に1歩足を踏み入れるとふわっといい香りがして、姿勢の良い、言葉の綺麗な、まるで英国紳士のような先生がいる。畳の上に胡坐をかいて授業を受ける塾ではあったが、俺にとってはその空間だけ「特別な場所」になっていた。勉強嫌いで怠惰な俺が自然と背筋がピンと伸び、指示にしたがって黙々と鉛筆を走らせる。まるで魔法にでもかかったように、薄汚い田舎のガキを勉学に素直に向かわせる。

人は人に反応する。俺はそれまで「先生」というものに対して、いろいろなことがあったせいもあり、どこか嫌なイメージがあった。自信なさげな先生には容赦なく悪態をつき、理由もなく高圧的で暴力的な先生には面従腹背の姿勢を取った。しかし、中学で出会った塾の先生の前ではなぜか素直になれた。自分の最も真摯な部分が引き出されるのが分かった。今思うと、それは先生が俺たちに払ってくれた「敬意」だ。周囲の大人、つまり、親や教師は、特にこの時代は当然子どもを子ども扱いにする。しかし、この塾の先生からはそれを感じなかった。点数が悪いと竹刀で殴られ、ビンタもされるが、普段の先生は明らかに俺たちに「敬意」を払ってくれているのを感じた。その敬意は1人称、生徒の呼び方、香水、言葉遣い、それらすべての「品(ひん)の総合」であった。そのことが子どもながらに心地よかった。俺はそれを自分の塾で再現したかった。できればがっちり「自分のもの」にしたかった。

俺はこれに加えて普段は標準語で話す(中学の個人塾の先生も福岡人の割には標準語が多かった)。だから、俺の塾は俺自身が中学生時代そうだったように、生徒にとって異空間であるに違いない。俺は中学時代の塾の先生よりも激しく怒るし、退塾率も比べ物にならないほど高い。しかしそれでも、生徒と近い距離だった20代のアンチャン先生の頃より、ほとんど雑談もしない今の方が、有難いことに生徒や保護者が俺を尊敬してくれているのを感じる。怒る時も血の気に任せて「テメェ、コノヤロウ!!」とねじ伏せていた20代よりも、「君は本当にそれでいいのか!」と冷静な部分を残しながら怒る今の方が、子どもにとっては「深く刺さる」ような気がしている。

繰り返すが、人は人に反応する。それも理屈ではなく先に感覚で反応する。粗野な対応には怒りや無気力で反応しがちだが、品のある綺麗な対応をされると、自分の血液にツーっと心地よいものが流れるのを感じる。綺麗なものの前では、自分の中の綺麗なものが素直に反応する。もしかしたら、世の中の親や先生のラフな言葉ばかりを浴びせられて、当の大人が知らず知らずのうちに彼らを辟易とさせているかもしれない。「ラフスタイルで厚い信頼関係」を築けていると信じて疑わない集団の中で「なんで赤の他人に『おまえ』なんて呼ばれないといけないのか」「なんで自分が呼び捨てにされるのか」と悩んでいるナイーブな子どももいるのかもしれない。

俺もこの先生に出会わなければ、それはわからなかっただろう。つまり、それまで出会ったことのない存在に出会うまで、薄曇りの違和感はいつまでもクリアになることなく感覚神経をチクチクつついたまま存在し続ける。

中学時代の小さな小さな個人塾の1人の先生が、俺にそれを教えてくれた。ひとつ残念なのは、ついに自分を「わたし」と言えずに塾講師人生が終わりそうなことだ。

俺はまだ生徒への敬意が足りないのだろうか。










 
ロカビリー * シリーズもの * 20:33 * comments(1) * -

塾の謎1(宿題)

塾、とりわけ個人塾には個性という名の「謎」が存在する。その塾の独特の設計や方針がある。今日は、俺の塾を実際に見た方からいただいた、いくつかの質問に答える形でエントリーを書いていきたい。

「なぜ、宿題が少ないのか」

このブログをご覧の方は、きっとうちの塾は膨大な宿題を課しているようなイメージを持っているに違いない。しかし、俺の塾は開校当初から宿題というものはほとんどない。いや、その代りに毎回毎回「確認テスト」があるのではないかと思われるかもしれないが、実は確認テストも他塾に比べると、たぶんかなり少ない方だと思う。

そういうわけで、ここでは宿題と確認テストのそれぞれについて書く。

まず、宿題についてであるが、本音としては「出したい」。もちろん、理由は宿題を効果的に使うことで、定着をさらに深めることができるからである。さらには家庭学習の習慣にもつながるので、宿題を出している塾が羨ましいぐらいである。今現在、宿題として出されるものは、授業内で終わらなかった問題(特に英数)を解いて丸付けまでやっておくようにというものだけである。中2までは、やったかどうかを確認するが、中3ではその確認もしない(つまり生徒任せ)。

最大のの理由は「学習資源への意識付け」である。(以前、このブログの『ザ・授業』で書いた記憶がある)

この地域の中学は部活動が盛んだが、学校の宿題も漢字やプリント等毎週出る。各教科ワークも持たされており、定期試験がある度に丸付けまでやって提出することを義務付けられている。これはネットでも話題になっていたが、この「学校のワーク」がポイントなのだ。学校で持たされているワークは俺が知る限りどれも良質なものばかり。それだけでなく、数学や理科は相当レベルの高い問題も入っている。量もそれなりに多い。しかし中学生の多くは、この良問揃いの問題をまともに解くことはなく「答えを丸写し→すべてマル」にして提出している。しかも、学校の先生も「期日に提出した」という既成事実を黙認して認め印を押している。これが色んな意味で残念であり、勿体ないと感じていた。考えてみると、仮に、答えを丸写しして提出するにしても、それ相応の時間を費やしてしまうわけだ。当然、この時間は「死んだ時間」である。俺は、生徒たちには学習機会、学習資源を大切にしてほしいという願いがある。学校の授業の1時間、塾の授業の1時間を大事にするのと同じように、教科書1冊、問題集1冊、プリント1枚を大切に扱い、大切に汚してほしいという思いがある。実際、勉強ができる生徒とデキない生徒は「道具の扱い方」からして違う。それならば、そこから教えて行こう。そんな考えで今まで指導してきた。

たとえばこの状況で、もしも俺が日常的に宿題を出したらどうなるだろうか。もちろん、きちんとやる子や打ヤル気がある子はどんどんこなしてますます賢くなるだろう。しかし、多くの生徒はきっと塾の宿題がいい加減になるか、学校の宿題がいい加減になるか、またはその両方になる。怒られないために不正や嘘もどんどん出てくるかもしれない。何より、怒られないように義務感でやった宿題からはほとんど何も得られないだろう。それならば、塾の宿題の代替として、学校学習資源、つまり配布される教材やプリントがいかに良質であるかを生徒に説明し、納得してもらったうえで少しでも意欲的に取り組んでもらった方がいい。

「君たちの学校のこのワークの問題、すごくいい問題だ。こんなにいい学校ワークを写して出すなんて、何と勿体ないことか!罰が当たるぞ。君たち、いいかい?塾の問題集をやる時と同じように、1ページずつ終わったら答え合わせをして、まちがえたらバツをつけて、解説を見て。納得できたら解き直し。納得できなければ塾に持ってきて僕に質問すればいいんだ。そうしたら必ず力がつくぞ。だから君たち、このワーク大事にしなきゃ。たとえ周囲の人が丸写して、全部マルで出しているとしても、うちの塾の生徒、つまり君たちは絶対にそのように意味がなく勿体ないことをしちゃいけない。」

中1からこのような指導をして、だいたい1年間辛抱強く説いていけば、中2ぐらいからはほぼ全員が学校のワークを、塾のワークと同じように解くようになる。俺はこの時点で、塾の宿題を出したのと同じような効果があると思っている。よくある面白い例として、途中入塾の数学が苦手な中2の生徒がいたとして、当然、うちの生徒よりも全然数学の成績は悪いのだが、その生徒の学校ワークはすべて正解のマルがついていて、うちの塾生たちのワークはところどころバツや解けずに空欄の問題もある。しかも、うちの塾生のワークは途中式が狭いスペースにビッチリ書いてあるが、途中入塾の数学が苦手な生徒のワークには一切の途中式や解答過程がない(笑)。

次に確認テストの話。確認テストはほとんど英語でしか実施していない。これも最初に断っておくが、確認テストは「全教科やりたい」のである。しかし、現状はやらないというより「できない」。それでも俺の塾では英語のユニットが終わるごとに単語テストをやったり、音読と訳のテスト、暗唱のテストをやったりはする。他の4教科では、時々、社会の年号テストをやったり、化学式のテストをやったりと、「ここだけは」というところでしかやらない、というかできない。これに関しては、塾が抱えている制約も大きい。俺の塾は俺1人しか指導する人間がいなかったし、小さな塾なのに地域の3〜4、多い時は5つの中学から生徒が来る。だから、どの学校よりも速い進度で進めておく必要があり、毎回15分でも確認テストをしようものなら、とてもではないが授業が間に合わなくなる。生徒たちには「1週間以内にここを復習しておくように」とか、「そろそろ塾の問題集の復習から学校のワークに切り替えよう」などと話はする。前述したが、これも2年生までは地道に指導して行きながら、3年生になると全員とはいかないまでも、ほとんどの生徒が「復習」という名のセルフ確認テストをやるようになる。

ただ、完全放任なのかと言えばそうではない。授業の中で「復習していなければ答えられない質問」、つまり、「復習していれば容易に答えられる質問」を入れて行き、もしもそれに答えられなかった時は星野仙一の何倍もの激しい怒声と、野村克也の何倍ものネチッこい嫌味を長時間たっぷり浴びせられることになる。だから生徒は俺の質問にはかなり高い緊張感で答えているはずである(時々、卒塾文集に『先生から当てられると心臓が飛び出るほど緊張した』と書く生徒がいる)。この授業内の「塾長からの質問」が復習のチェック機能になっていると思う。ただし、途中入塾の生徒や学力が厳しい生徒に関しては最初のうちだけ塾に来させて、俺の目の前で「正しい復習の型」を教える。

ところで、今年から中3の自習体制を少し変更した。これまで中3に関しては、自習に来るように促してはいたものの、例年ある程度自学の完成度が高かったので、俺は各自の計画だけを管理して、日々の自習の内容に関しては任せっきりだった。ところが昨年度、つまり現高1が秋口から成績が伸びずに下降した原因の1つが「1学期の自習の質」にあると判断した。やはり中学生だと、特に自分が苦手な教科の勉強に関してはどこか無駄があったり、やり方がまずかったり、「(来ないと何か言われるから)一応やっている」ものであったりして、そこが改善されないまま数か月過ぎることがままある。それを防ぐために、今年度は塾の授業前か授業後、または塾がない日に「確認テストを受けに来なさい」という指示を出した。内容は、1学期中には終わらせておいてほしい理科と社会の1、2年の復習である。これも完全に生徒任せにすると不具合が生じる危険があるので、全生徒の確認テスト進捗状況をリストにして廊下にはり出し、合格のたびに俺が表に認め印を押していく形にしている。テスト内容は彼らに渡してある塾教材からそのまま出すことにしていて、教材もレベルや量的にこのシステムを想定したものを選んだ。はり出して見えるようにしておけば、彼らも忘れたり、のんびりしたりはできない。サクサク確認テストを終わらせる生徒の欄が、どんどん認め印で増えていくのを目にすると「やばい」と思うはずだ。もちろん、俺も適度にせっつく(笑)。

余談が長くなったが、宿題や確認テストの「謎」については以上。

次回は「生徒の名前の呼び方」について書く。






 
ロカビリー * シリーズもの * 00:48 * comments(2) * -

ザ・ブラック塾

以前、「塾ブルース」という話を書いた。これは俺が23歳から30歳まで勤めていた塾での実話をもとにした話である。清廉な理念と才気あふれる若い組織が、ある時期から利益主義に走り、理性と良心を失って行く様を赤裸々に描いたつもりだ。(興味がある方はカテゴリーの「シリーズもの」で探してみてください)

ところで、この話の中でも書いたが、拡大路線の中で県内大手塾の元室長、エリア長という人物が入ってきて、それぞれ本部長、広報部次長と言う立場に据えられてからの「塾の常識」の変化は凄まじく、それまでいたスタッフたちの困惑、子どもたちまでが変わって行く様子を見て恐怖すら感じたものである。今日は遠い記憶を追いかけながらそのいくつかを書いてみたい。

「塾の仕事は教務が2割、生徒募集が8割」

それまでは、生徒のために塾に泊まり込んでプリントを作ったり、その日の出来事をデニーズで明け方まで語り明かしたりしたスタッフたちだけでなく、創業者である社長や副社長も驚いていたことだろう。ただ「元大手」という看板が自信満々に断言するその言葉は、そのような驚きを「これまでやってこなかった反省」に変えた。

「儲かることをつくりだす」

夏休みの夏期講習が5万円だとしたら、前期と後期の間に「中期講座」というものを無理矢理つくり、値段を設定する。当然、コンテンツなどは後から考え、できるだけ成績上位から下位までがどれか1つは受講できるように細かくコース分けをする。先に収入(利益)ありきで企画を考え、「生徒のためになるのかどうか」の理屈は後から付けるのがこの時期のやり方だった。

「儲からないことはやらない」

たとえば、それまではスタッフの気持ちでやっていた授業延長や、授業日以外の補習なども極力「やるな」という指示が出て、「やるんだったら金を取ろう」という動きになった。そうすると、やがてそういうものを誰もやらなくなった。

「授業は奪うもの」

先輩スタッフから教えを乞い、免許皆伝によって授業を「いただく」という考えではなく、「収入を増やしたかったら先輩講師の授業を『奪え』」という、弱肉強食、下剋上の精神が広まった。

「地獄のポスティングと入塾ノルマ」

もちろん、それまでもポスティングをしていたが、それはみんなが本心から「生徒に来てほしい」「地域にもっと知って欲しい」という純粋な気持ちだった。だから、手伝う時も特に報酬はなかったし、その代りに必ず先輩が食事を奢ってくれた。しかし、この頃のポスティングは「〇〇校舎8000枚」などのノルマがあり、配り切らなければ「チラシの買い取り」を命じられていた。スタッフの中には授業で疲れ切った後、アルバイト講師にはとても手伝いを要請できず、1人で夜中3時過ぎまでポスティングをやる者もいた。本当なら、翌日の授業のプリントを作成したいと思うスタッフが、泣きながら俺に電話をしてきて「もう・・・自分はダメかもしれない」と訴えてきたこともあった。配り切れずにこっそりコンビニのゴミ箱にチラシを捨てる者もいた。新学期や季節講習前には必ず会議で「目標入塾者数」という名を借りたノルマがあり、達成できなければ「ダメ校舎」の烙印を押され、会議では小さくならなければならなかった。いくら成績を上げても、合格実績が良くても「人数を集められない校舎」よりも人事考課的には「下」に見られる風潮さえあった。

「説得研修」

いろいろなオプションを無理矢理つけることによって、夏期講習の費用が10万円を超えた。さすがに案内を配った後の生徒にも驚きの色が濃く「え〜!!なんでこんなに高いの??」と言葉に出す生徒もいた。以前からいる生徒の保護者の中には怒って電話をして来る人もいた。当然「夏期講習は欠席します」という電話も少なくなかった。しかし、信じられないのはここからで、こういう生徒や親を「説得しなければならない」と通達が出るのである。たとえば授業時間を使って「みんな、いいですか?みんなの将来に値段はつけられないんだよ!君たちにはそれだけ大きな可能性が・・・」のような話を熱弁するのである。そして最後は「だから、君たちがそういうことをきちんとお父さんやお母さんに話をすれば、きっとわかってくれると思うんだ!」という話で結ぶ。今思い出しても悍ましい光景である。退塾もそうだ。退塾の意思を本人や生徒が伝えると、塾に来ている間は全力で説得する。基本的に親は子どもが翻意すればその言いなりになる場合もあり、「逆転継続」を勝ち取れる。事務室に生徒を呼んで懇々と説得である。それはそうだ。退塾者を出すと、その理由のいかんを問わず「室長の責任」となるのだから。利益追求の組織の中では「人数減」はどんな事象を差し置いても「悪」なのだ。こういう状況になると働く人間は「正義よりも自分の身がかわいい」という気持ちが相当強くなる。このような「子どもの心を動かす説得研修」のようなものまで企画されたぐらいである。

ある日の会議で、退塾者を2名出した校舎の室長が本部長から糾弾され「明日、辞表を書いて来い!それが嫌ならここから飛び降りろ!」と言われた。「そんな・・・勘弁してください」と声を絞り出し、うつむいて固まっている室長に、今度は次長が穏やかだがフォローにならない声を掛ける。「辞表、書いてきた方がいいですよ。懲戒解雇より、自己都合退職の方が後々助かりますよ」。

スタッフの中には組織内に蔓延する奇妙な論理に「おかしいよな」と思いながら働く者もいるのだが、組織の上下関係や自分の身の危険があるために声を上げることができない。俺は社長に直談判をして、幸い俺の正義が「是」と認められ本部長とその一派を駆逐したが、一歩間違えれば俺の正義は「非」となり組織から追い出されていただろう。どうしても立場の弱いスタッフたちには人間が持つ「安全、生存欲求」が働き、場合によってはそのマインドに「慣れよう」とする者も出てくる。それだけではない。そのような人間に指導される生徒たちには、授業時間以外で持っている「先生のもう1つの顔」は見えず、そういう先生に対しても「いい先生だ」と尊敬の念を抱いてしまうのである。

大手塾やある程度の規模の組織塾経験者で、独立して塾をやっている人の多くはたいてい似たような経験をしている。そして自分の中の正義を証明するために組織を飛び出し、独立して塾をやっていると言っても過言ではない。

ブラック塾の中で耐えがたきを耐え、そこから飛び出した人間は、どんなにドス黒いドブの中で泳がされても、己の心の中の正義だけは絶対に守り抜き、汚さなかった。俺はそういう塾が全国に少なからずある、そう信じたい。




 
ロカビリー * 人生のブルース * 02:06 * comments(0) * -

大根役者

先日、見回りの「つぶやき」について書いた。俺の塾はこれまで1人でやってきて、生徒との距離は「遠い」。というのは、生徒はほとんど俺に雑談を持ちかけないし、プライベートな相談事(勉強以外)に関しても数えるほどしか受けたことがないからだ。どうしても怒られる印象、厳しい指導の印象が強いこともあるし、俺と生徒の年齢の差もある。生徒にとって俺は「話し(かけ)やすい先生」では決してない。よって、俺と「会話をする」というのは普通のことではないのである。そのような中でも、俺に屈託なく壁をつくらず話しかけてくる生徒がたまにいる。こういう子どもを見ると、性格がよく、将来きっと上司に可愛がられるだろうと想像できる。

通常、俺と生徒が言葉を交わすのは、だいたい4つの場面しかない。「入室のあいさつ」「学校進度を生徒に尋ねる時」「授業中の発問と応答(質問対応)」「帰りのあいさつ」。その他のことで話すのは、俺が生徒に何か聞きたいことがある場合か、生徒が何か俺に用事がある場合ぐらいだ。他の塾と比べても、たぶん会話は少ない方だと思う。塾の仕事を「接客業」だと思えば、俺の方から積極的に話しかけ、盛り上げるように努めるべきだろう。しかし、俺にはその気持ちがないし、そういう役割を演じる必要性も感じない。生徒と言葉を交わすことにおいては基本的に「指導(授業)だけ」でよいと考えている。

ところで、生徒の士気を高める声掛けには大きく2種類ある。ネガティブな声掛けとポジティブな声掛けだ。ネガティブな声掛けは、たとえば「これを覚えないと、テストでは酷い点数になるぞ(入試に落ちるぞ)!」のような脅し文句だ。ポジティブな声掛けは、たとえば「君いいねえ!すごいねえ!よくできたぞ!」のような褒める言葉がけである。昨今「ほめる指導」が日本全国を席巻していて、塾に限らず各分野の指導者は「ほめる指導」を主としているように思える。塾や学校関係者の間でも、上記のような「〇〇しないと△△になるぞ!」という声掛け自体が否定的に見られることも少なくない。

俺に関してはどうか。俺はどちらの声掛けもしている。上記のネガティブな声掛けもよくする。それをいけないと思ったことはないし、やめようと思ったこともない。もちろん、授業の後に「言い過ぎたかな・・」と思うことはあるが、生徒への声掛けや意識の変革を促すときに「褒める指導をしなければ」と思ったことは1度もない。悪い結果につながることが予期できれば「このままだと成績が下がるぞ(落ちるぞ)」でいい。

先生という仕事は「役者の心」が必要だと言われる。そういう意味で言えば俺は演技ができない大根役者だ。俺の場合、生徒に言葉をかけるときには「感情に任せる」。腹が立ったら厳しい言葉を投げつけるし、よく頑張ったら称賛する。何か手伝ってくれたらお礼を言う。腹が立った時に笑顔でいることはできないし、絶賛したい気持ちを抑えることもできない。面白くないのに笑えないし、腹も立っていないのに怒ることもできない。いや、できないことはないが「しない」のである。

生徒や保護者に大切な話をする時、説教をするとき、俺は予め内容を考えたり、ましてや原稿を書いたりすることはない。すべてその場の感情に任せて話をする。アドリブだ。この姿勢は、俺の授業やこのブログを書くスタンスにも共通している。俺の場合、予め何かを考えたり演技しようとした瞬間に「自分の言葉が死ぬ」のがわかる。吐いた瞬間に後悔するほど言葉が生きていないのだ。人間は感情的になって発した言葉に後悔することが多い。しかし、俺は感情がない言葉を発してしまって後悔したことの方が多い。俺の死んだ言葉は塾の教室に空しく響き、多少は生徒の鼓膜を振動させるかもしれないが、たぶん生徒の心には届かない。

そんな俺が自分から声を掛ける場合がある。生徒が不安に思っているときだ。たとえば、途中入塾の生徒には、特定の教科が悪い、あるいはどの教科とも点数が低迷して入塾してくる場合がある。教えてみて確かに基本が抜けていることは多いが、その生徒の理解力が悪くなく、性格も素直そうな場合俺はその生徒に声を掛ける。というより、そういう子の不安そうな顔を見ると声を掛けたくなる。

今、君は〇〇(教科名)の点数が悪くて苦手意識持ってるよね?でも、僕が少し教えてみて君ができないとは思わないんだよ。たぶん成績は上がるよ。それほど時間もかからないと思う。ただ、いくつか直さないといけないところがある。それをきちんと直してくれたら必ず上がる。どう?上げたい?よし。それなら頑張ろう。悪いところを直すために厳しいことも言うけど辛抱して頑張ってね。絶対に上げるから。

もちろん俺の本心だ。言われた生徒は俺の前だから大きな声で返事をしたり派手な頷きをしたりはしない。しかし、たいていこういう場合、生徒の顔が変わるのが分かる。声は発さなくとも「はい!頑張ります!」と眼差しが語っているのを感じる。

感情を抑え、理性で語るのが大人なのかもしれない。しかし俺は、生徒へ向ける言葉は、時として子どもよりも子どもっぽく、感情的に、ストレートなものを投げ込みたい。対人援助にも技術が必要なことは知っている。しかし、プロ失格と言われようとも、どんな技術も自分の感情の延長上でやりたい。

つまり俺は大根役者。相手の感情を移入させるような気の利いた演技ができないので、これからも自分の感情に任せて言葉をかけるしかない。










 
ロカビリー * 教務のブルース * 20:00 * comments(0) * -

塾のルール

「勉強を教える」というほぼ共通の目的がありながら、その理念や方針は塾の数だけ多様にある。塾の中で適用される「ルール」もそうだ。今日は、俺の塾のルールについて書く。

まず、俺は塾運営において「ルールは少ない方がいい」という考えを持っている。理想論になるが、最低限のルールで自由度や自律度が高い空間をつくりたい。しかし、そこは小中学生相手の塾。彼らは無知であり、理性や自らを律する力においては未成熟な子どもたちである。だからどうしても「ルール」が必要になる。では、地域でも群を抜いて厳しい塾という評判のわが塾のルールはどれほどのものか。

俺の塾には「塾規定」を18条まで明文化している。ただ、これは主に「保護者向けのもの」だ。1人でやっている個人塾でこのようなものを作っているところをあまり知らないので珍しいのかもしれないが、やはり保護者との「契約」についてはきちんとしておきたかった。つい昨日、別のところでご質問があったので項目だけでも紹介したい(さすがに全文は大変すぎる)

【第1条】指導姿勢
【第2条】塾へ通う手段
【第3条】通常授業
【第4条】特訓(講習)
【第5条】模擬試験
【第6条】休講
【第7条】臨時授業
【第8条】遅刻・欠席・早退
【第9条】授業延長
【第10条】授業料の支払い
【第11条】保護者面談
【第12条】自主退塾
【第13条】退塾言い渡し
【第14条】塾からの電話
【第15条】携帯電話所持およびインターネット・メールの使用
【第16条】安全配慮義務
【第17条】守秘義務
【第18条】塾内への持ち込みおよび使用禁止

こんな感じだ。

続いて生徒向け。生徒には「心得」を3つ定めている。

「積極姿勢」

これは俺の塾で最も重要なことだ。塾に入ってくるとき、帰る時に必ず「声を出して」挨拶をする。あいさつについてはこれだけで、授業開始や終了時のあいさつはやっていない。塾には時々、来客者がいることがある。塾の下の階で外部の人とすれ違うことがあるかもしれない。そういう場合も必ず挨拶をしなさいと伝えてある。余談だが、俺の塾ではいつからかトイレを借りる時に「トイレを借ります」、使い終ると「ありがとうございました」という習慣ができた。これは俺が命じたものではなく、自然にそうなった。このことは多くの来客の方が驚かれる。あとは「面倒くさい」「難しい」「やりたくない」「いやだ」などの否定的な言葉を発しないこと。塾内で他者(学校の先生、友人、親、他塾など)の悪口を言わないこと。

「柔軟思考」

困難があっても諦めずに、視点や発想を変えて柔軟に取り組むこと。勉強を楽しむこと。

「実現努力」

自分で決めた目標を実現するための努力を惜しまないこと。妥協しないこと。

以上だ。少ない。

これ以外に生徒に強調しているものとしては、たとえば規定の8条にある「遅刻欠席」について。

これについてはかなりうるさい。特に欠席は原則「熱が38度以上・嘔吐下痢が激しい・インフルエンザその他感染症・入院・親族の葬儀」のみ認めることになっている。これほど容体は悪くないが体調が思わしくないときは1度塾に来て授業を受け、容体が改善されなかったり悪くなったりして、こちらが無理だと判断した場合には早退してもらうことになっている。遅刻については、部活動等やむを得ない場合には必ず「授業開始前に保護者が連絡する」ことになっている。授業開始前に連絡のない遅刻は無断遅刻とみなされる。

「帰りの寄り道」について。
これも規定の16条にもあるが、かなり厳しく定めている(1発退塾の可能性あり)。

あとは、たとえば「服装」について。
これは意外にも・・・ない。自由な服装で構わない。

「塾内の飲食」について。
もちろん授業中の飲食は認めていない。休み時間に各自が持参した飲み物を口にするのは自由。食事に関しては、部活動等で食事をする時間がなかった生徒には、授業前や休み時間に廊下のソファで摂ることを許可している。また、長時間勉強会等では食事の時間を取って、教室で食べてよいことにしている。

上記のこと以外では、筆記用具や文房具についての指導、授業中の姿勢の指導などはあるし、休み時間に大騒ぎしたり、モノを投げたり、口笛なんかを吹いたら当然注意されるが、こういうケースは10年でほとんどない。
(入塾当初は姿勢の指導は割と多い)


ルールは多ければいいものではないし、多ければ秩序が保てるわけではない。それよりも、必要最低限のルールを徹底させることによって、その周辺のことにまで規律精神が波及した方が良い。つまり、ルールにはなくても「していいことか、いけないことか」を彼らが普段の雰囲気、隣の仲間、あるいはこれまでの俺の教えを照らし合わせて解釈し、感じ取るのである。子どもは未熟ではあるが、本当に大事なことをしっかり教え込んでおけば、そこから「感じ取る力」はある。ただし、それを教え込む人間、彼らの模範となるような人間がいなければそれは困難を極める。

ブログの読者の中には、俺が軍隊のようなガチガチに縛りつけた指導をして、生徒たちはブラック企業の異様なムードの朝礼のようにデカい声を出し、大リーグ養成ギブスを着用せられ、おまけに変なヘルメットを被せられ、北朝鮮のマスゲームを髣髴とさせるような動きをしていると誤解されている方もいるかもしれない。確かに生徒は俺を怖がっている。これまで経験したことがない怒られ方をして泣くこともある。クラスによっては休み時間も話さない学年もあるし、俺が冗談を言ってもまったく表情を変えないつれないクラスもある(笑)。しかし、実際に身に来られた方たちはおわかりだと思うが、生徒たちが抑圧され、萎縮しているような感じはない・・・はずである(笑)。

繰り返すが、子どもには絶対にルールは必要だ。しかし「ルールがたくさんあればよい」わけではない。そんなことをしているとルールや禁止事項を際限なく増やさなければならなくなるだろう。そうではなく最低限のルールを徹底的に叩き込み、あとは彼らがそれを正しく解釈して、ルール以外のところまで感じ取れるような場をつくっていくことが重要なのである。


 
ロカビリー * 教務のブルース * 22:25 * comments(0) * -

地味すぎて気付かれない「つぶやき」指導

現在、友人(副塾長)と毎晩のように授業の後話をしている。主に経営のことと教務指導のことだが、個人塾にとって圧倒的に重要なのは教務指導である。教務指導がすなわち塾の品質であり、究極的には個人塾の商品は塾長自身だ。商品価値を高めるためには、人間的に「この人にならついて行きたい」「この人になら子どもを預けてもいい」と思われる立ち居振る舞いや言動が必要である。もちろん、それだけではいけない。大前提として「塾の品質」つまり授業や指導がしっかりしていなければならない。

友人はこれまで2つの塾で講師経験がある。しかし今、俺の塾に来て俺と話をすると「いや・・・これまでそういうことを意識したことがなかった・・」と驚くことが多い。そのような反応を見る度に、俺は他の塾との「指導の違い」「品質の違い」をあらためて確認することができるし、だからこそこんなに激しい指導でも10年やってこれたのだと思う。そして、友人にもぜひ1つでも多くのことを感じ取ってもらい、自分のものにしてほしいと思っている。

今、友人はできるだけ俺の授業を見るようにしている。ただ、授業を見る時に「何を感じるか」というのは、見る側の意識の範囲内のものに限定される。意識が広がり感度が高まらなければ、何度か授業を見るうちに「だいたいわかった」と思うようになる。しかし、実はその段階でも見落としていることや感じ取っていないことは少なくない。なかなか感じ取ってもらえない時、見てもらう側から「今度はそこを見ておいてくれ」と言われてはじめて気が付くこともある。授業を見ることや、そこから何を感じ取るかは、それ自体が「能力」なのだ。

友人も、もうだいぶ俺の授業を見てきた。俺は自分の授業にいくつも「意識」を入れていて、それこそが俺の授業の肝になっている。しかし、それはまったく派手さがないものばかりなので、友人にもなかなか気が付いてもらえないことがある。友人の名誉のために言っておくが、彼が鈍感なわけではないのでそれだけ「気が付きにくい」ことなのかもしれない。

たとえばつい先日、授業後に俺の授業について話をしていて、俺の方から「これ気が付いてた?」と確認してみたことが3つほどあったが、やはり気が付いていなかった。このことは、俺にとって指導の上でものすごく重要なことであるが、たぶん普通の講師の人はあまり意識されないのかもしれない。

まず生徒の質問である。

長い読者の方にはご存知の通り、俺は生徒にとっては「超コワい先生」だ。俺は別になりたくてなったわけではないが、自然にそうなってしまった。一方、友人は「優しい先生」である。友人のことを「厳しい先生」と認識している生徒や保護者は少しぐらいいたとしても「コワい先生」と思っている人はほとんどいないと思う。

授業の後、俺と友人の会話。

俺「俺が教えているクラス。この前卒業した高1や今の中3なんだけど、よく質問すると思わない?」

友人「そう言えばそうだね」

俺「お前のクラス、質問が少ないよな?何でだと思う?」

友人「あー・・」

俺「言っとくけど、中3だからとか、たまたま俺が持っている生徒の性格とか、そういうのじゃないから。」

普通に考えたら、生徒にとって俺の方が絶対に質問しづらい。そもそも、生徒には「先生に質問をする」という習慣がほとんどない。学校の授業で質問するのは、どちらかといえば「普通ではないこと」だ。たいていの子どもはその習慣をそのまま塾に持ち込む。だから、友人がいくら優しい先生でも「質問をしない」方が当たりまえだ。そこに来てさらに、これまで出会ったことがないような恐ろしい塾長に生徒が質問をすることができるのか。言うまでもなく、学習において「質問」は極めて重要なことの1つだ。ただ、これを学習者が行うことは、指導者が思っている以上に相当に難しい。なぜなら、「質問」は学習者の勉強に対する高度な積極姿勢の表れだからだ。もし、これを生徒が自発的に習慣的にするようになれば、学習効果の劇的なアップになる。それが俺にはできて、友人にはできていない。友人のクラスの生徒は授業が終わったらすぐに帰る子が多いが、俺のクラスの生徒は授業が終わってもほとんどの生徒が残って、しばらくは勉強を続けて質問があれば俺を呼ぶ。たとえ授業の技術が同じぐらいだとしても、この「質問」への空気の醸成のちがいでその後のレベルアップに雲泥の差が出てしまうことは言うまでもない。授業の合間や最後に「じゃあ、質問ある人手を挙げてー?」なんて言って、無反応な生徒たちを見て「よしよし、みんな俺の授業をわかってくれたか」なんて慢心していては、生徒の力を伸ばすことはできない。

次は「サブリミナル的つぶやき」だ。

俺は演習の時間を長くとるので、見回りは多い。俺は見回りながらブツブツとつぶやいている。それは独り言ではなく、意識的にボソボソとつぶやいているのである。計算の演習中は「はい、スピードね、スピード意識」「カッコの前のマイナス注意だよ、カッコの前のマイナス注意」、英語なら「はい、三単現と時制ね、意識して、三単現と時制」「名詞の処理に注意、名詞の処理に注意」。こういうことを繰り返し繰り返し、見回りをしながら何度もつぶやく。もちろん小さな声だが、生徒は演習に集中しているので、このぐらいの小さな声でも入って行っているはずだ。

あとは「終わり方」についてだ。

俺は常々、生徒には「間違えた問題は、どこが間違えたのかを必ず分析、解決し、それをノートにメモしてから解き直しをするように。分析や解決できない場合は僕を呼ぶように。」と指導している。しかし、生徒全員がこれをやってくれるまでには、相当に辛抱強い指導が必要だ。人間はできれば自分の間違いと向き合いたくないし、できない生徒ほど、はやく勉強を終えたい気持ちが強い。そうすると、上記の内容の途中を省き「間違えた問題 →やり直し」という手順でやろうとする。つまり、どこをなぜまちがえたのか、ポイントは何だったのかの分析と解決がされないまま、ややもすれば「答えを暗記してやり直し」という効果のない形式的なやり直しになってしまう。指導者も一見するときちんとやっているように見えるために、それを見逃してしまう。

俺は時間が来て演習をストップさせるときに

はい、ここからの時間大事。間違えた問題の処理、この時間が1番大事だよ。」

とブツブツつぶやきながら歩き回る。さらに、やり直しに入った生徒やノートを片付けようとしている生徒に声を掛け

もう終わった?間違えた問題は原因わかった?そう、ちょっとノート見せて。・・・ああ、ここダメだ。ここはね、こういう書き方じゃなくてね。ほら見て、これだと間違った原因やポイントになってないじゃん?わかる?こういう場合は、こういう風に書いて・・。ね?これで初めて解決だよ。ここからやり直しに移行すればしっかり理解につながるからね。

という具合に「間違えた問題の処理」が意味のないただの作業にならないようにしている。

演習中の「つぶやき」や、演習後の「つぶやき」は、俺の指導には欠かせない重要なことである。








 
ロカビリー * 教務のブルース * 18:38 * comments(0) * -
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