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個人塾、その凄みを知った日(4)〜授業交流戦◆

 猫ギター先生にお願いしたのは、三角形の合同の証明。

合同条件までは前回までで終えている。クラスの子たちは、春に猫ギター先生の話を聞いている連中なので、緊張と言うよりは楽しみにしている。

しかし、よく考えたら「証明」だ。文字式の単元で証明まがいのことをした経験はあるものの、図形を段階的に仮定から結論へと結びつけるという、指導する側から言えば相当気を遣い、悪い言葉で表現すれば面倒な単元を猫ギター先生に投げてしまったと、頼んだ後に申し訳なく思った。


そんな俺の心配は杞憂に終わる。猫ギター先生の説明は実に見事で、非常に参考になった。

猫ギター先生が教室で作り出す空気は、もしかしたら俺の塾だったのでそうしていただいたのかもしれないが、ブログのような厳然としたムードではない。極めて自然体だ。口調も、1対1で雑談するときのような、話しかける雰囲気である。これから行う証明というものは何か、という話から始まった。日本語と英語の違いの例は絶妙で、まさかこの証明でその喩えが来るとは思わなかった。合同三条件1つ1つ図示して説明される。それもただドンドン進めていくのではなく、二辺とその間の角が等しくないといけないのはどうしてか等、はじめての生徒が疑問に持ちやすい部分も逃さず取り上げられる。

初めての内容で、段階を緩やかなスロープ状にし、その説明も画用紙の隅々まで塗り残しがないような丁寧な絵筆のさばき方だった。

その後、生徒たちはというと、初めての証明とは思えない、極めて順調な出来である。はっきり言って、次の授業では、俺は安心して「じゃあ、今日は前回の猫ギター先生の授業の続きからで・・・・」と進めて行くことができるほど最初の段階をきっちり理解させてもらっている。

猫ギター先生の口調、その自然体で話しかけるようなムードはブログとは印象が違う。話すスピードは速い。したがって、言葉数は文字に直すと多いだろう。実際、あれだけ喩えも入れたりして丁寧な説明をしたのだから、生徒たちは猫ギター先生の口から出る相当数の言葉を耳から入れて脳内で処理することが必要だ。

しかし、これが不思議である。「長い説明だな〜」とはまったく感じないのだ。多い言葉数の中は、すべて問題を解く上で必要な情報が精選されており、それを発する段階や構成、タイミングも子どもたちが飽きずに聞き通せるものになっている。とかく中学生は聞く力が弱く、集中力の持続もままならないので、説明が長い講師は相当の話術がない限り、生徒はすぐに聞き漏らすことが出てきたり、聞き疲れて顔を下げたりしてしまう。だから講師はできるだけ短い説明を追求するのだが、これがまた、短くしたらしたで大切な段階をすっ飛ばしてしまい、抜け落ちが多く粗い説明になってしまう。


俺は猫ギター先生の説明を聞きながら、普段の自分の、最初に教える単元の説明と照らし合わせた。

先生の授業を拝見することで、俺の説明の「強引さ」「粗さ」がよくわかった。俺の説明には塗り忘れやムラがある。考えてみれば、俺の普段の数学の授業では、新単元の説明で、いつもよりも丁寧にやったつもりでも、必ずクラスに3人ぐらい問題を解けない生徒が出ていた。「おい、ちゃんと説明聞いてたか?」と怒る場面もたびたびあった。しかし、猫ギター先生の説明ではほぼ同じ程度に全員が問題を解けている。本当に言葉を尽くし、かと言ってクドくなく、丁寧で繊細な授業だった。この点においては先生のブログの印象と重なるところがあった。

猫ギター先生に「実に丁寧な説明でしたね」と言うと、先生は「いやあ、僕は数学が嫌いなので・・」と仰った。いえいえ先生。俺も先生と極めて近い心境なのに、俺の説明は随分粗いんですけど。直接は言えないので、心の中で突っ込んだ(笑)。

猫ギター先生の見事な説明のおかげで、うちの生徒は「証明」の大事な初っ端をしっかり理解できた。(つづく)
ロカビリー * 人生のブルース * 11:40 * comments(0) * -

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