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マニアックな野球談議(高校野球・投手◆

 プロには行かなかったが、忘れられない名投手がいる。

どうしても地元なので、福岡県代表校になるが、筆頭は西日本短大付属の森尾。夏の甲子園優勝投手だ。その前になると、予選の防御率が0点台と驚異的だった名投手・前田幸長(その後ロッテ→中日→巨人)と九州のバースと呼ばれた山之内健一がいた福岡第一が有名だが、それでも準優勝だった。福岡県は激戦の県で、下馬評はいつも高いのだが、いつも1回戦や2回戦で強豪校と当たってしまい、僅差での敗戦というイメージが強かった。そういう意味では前田や森尾は福岡を全国に知らしめた。特に森尾は甲子園でも完封無失点を連発し、抜群の制球力で決勝まで危なげなく投げ切った。その後社会人へ進んだところまでは知っているが、プロへ行かなかったところをみると故障か何かしたのだろう。

これ以前にも福岡県には名門校があった。久留米商業だ。公立(市立)では県内で群を抜いて強かった。甲子園でも、俺が生まれていないぐらいのかなり昔に準優勝があったと思う。

俺が知っている久留米商業と言えば、まず最初に思い出すのは山田武史投手だ。最初にテレビで見たのは春の選抜の宇部商業戦。ちょっとブッたまげた。相手の投手の秋村も大会屈指の好投手と言われていて、予想通り投手戦になった。ちなみに秋村はその後、広島に入ったと思う。興味がある方、もしもyou tubeで見ることができるならば、この試合の山田投手を見て欲しい。秋村も相当すごい球を投げていたが、山田がすごすぎた。こんなに球が伸び、ホップする球を投げる高校生を見たことは後にも先にもない。久留米商業は夏にも出場したが、この時、山田は盲腸やら足の付け根の故障でまったく本調子ではなかった。それでも夏の甲子園ではベスト4に進んでいる。ちなみに、山田の同学年には池田の水野がいた時代。桑田や清原が1年生で優勝した年である。他にも佐世保工業の香田勲(巨人→近鉄)、興南の仲田幸司(阪神)、前橋工業の渡辺久信(西武)などいいピッチャーがたくさんいた。しかし、山田の球(春の選抜時)は他の誰のものよりもすごかった。

池田の水野が雑誌のインタビューで、「準々決勝ぐらいの時、桑田や清原がいたPLなんてノーマークだった。それより、久留米商業が来るのが嫌だった。練習試合でピッチャーがすごくいい球を放っていたから。」と語っている。あの水野でさえ、対戦したくない相手だったのだ。また、元ヤクルト古田も同級生であり、高校時代の山田の球は他の誰よりも1番伸びがあったと昭和40年会で話していたという。山田は社会人を経て巨人、ダイエーと渡り歩いたが、もうこの時は全然いい球は投げられず、結局1勝もしないまま引退している。

その代の2つ下の久留米商業の秋吉も、全くタイプの違うすごい投手だった。山田とは対照的に、球をリリースした後に飛び跳ねるようなアンダースローのフォームで、右打者のインコースに鋭く食い込むシュートで得点を許さず、甲子園でもほとんど失点していない。秋吉が高3の夏の甲子園では、高3になった桑田・清原のPLが圧倒的な優勝候補だった。俺はこの秋吉と清原の対決、また秋吉と桑田の投げ合いを見たかった。たぶん、秋吉のシュートをさすがの清原も簡単には打てないのではないかと野球小僧中学生だった俺は期待していた。しかし、PLとの対決を目前とにした準々決勝で無名の甲西(滋賀)に、キャッチャーの悪送球による何とも不運なサヨナラ負けをしてしまい、俺が夢見た対決は幻となった。秋吉の投球も機会があればぜひ見てもらいたい。

秋吉はプロには進んでいない。この投手は、中学時代は無名で、高校で花開いた。しかもすごい偶然だが、秋吉は俺が中学時代に通っていたスパルタ塾に中2まで在籍していたというのだ。俺はたまたま早めに塾に着いたある日、塾の先生が秋吉に打った電報の原稿とおぼしき走り書きを見つけた。その紙切れにはこう書いてあった。「キミノ ユウシ テレビデ ミタ ウレシカッタ」。

たぶん、今日紹介した投手は、よほどの甲子園マニアでない限り知らないか、覚えていないと思う。しかし、俺の中では間違いなく甲子園の歴史に残る名投手たちである。
ロカビリー * マニアックブルース * 22:32 * comments(5) * -

コメント

いつも内容の濃い記事、更新を待ち遠しくさせて頂いております。
久商の山田投手と秋吉投手の動画、見ました。先生のご指摘の通りの素晴らしいのひとことに尽きます。特に山田投手は抜群の球の伸びをもっており、反面、複数投手での分業制が全くなかった時代でしょうから、肩ヒジへの負担は相当なものであったことでしょう。仕方のないことですが間違いなく将来の大投手であったために悔やまれます。その他、西短の森尾投手の連続完封なども印象的でした。筑後地区は伝統的に好投手を輩出する土地柄なのでしょうか。願わくば打者編もお待ちしております。
受験前の大切な時期ですので、お体ご自愛下さいませ。
Comment by アウフヘーベン @ 2013/02/10 3:45 PM
アウフヘーベンさん

こんなマニアックな内容に反応くださりありがとうございます。

どうしても野球はピッチャーからはじまるゲームであり、テレビ中継もピッチャーがクローズアップされます。また私自身がピッチャーにあこがれて野球を始めた経緯があるものですから、注目は投手中心になってしまいますね。

甲子園の打者の場合、あまりマニアックな選手は思い当たりませんが、記憶をたどっていつか書いてみます。
Comment by ロカビリー @ 2013/02/11 5:47 PM
たまたま、ネットサーフィンやってたらこのブログにたどり着きました。確かにマニアックです。実はその時の久留米商業の監督が私の父なんです。山田さんの時のベスト4の時はスタンドで応援していました。その後、久商を勇退し、西日本短大付属の監督をして、石貫さんを要して三年で甲子園に出場したのはご存知ですか?西日本短大付属時にも実は久留米商業の秋吉さんを影で指導したりと、その当時の裏話は息子だけによく知ってますよ。私自身も父が西日本短大付属を辞めて大分藤蔭に行った時の生徒です。監督を辞めた理由がまともではないのですが褒められた父ではないですが、監督としては超一流でしたよ。
Comment by ケンボウ @ 2013/07/23 3:35 PM
ケンボウさん

そうでしたか。あの名将M監督の息子さんですか。

石貫投手はもちろん知っています。(その後、広島に入団しましたね)。たしかその時のキャッチャーが青柳(その後ヤクルト?)といういい選手だった記憶があります。
Comment by ロカビリー @ 2013/07/29 2:39 PM
山田投手の記事を見つけて 嬉しくてコメントさせて戴きます
山田投手は1年生の時から投げていて 久留米商業は当時は福岡県の強豪校でした
名前だけは早くから知っていましたが 実際に見たのは 僕も選抜で秋村投手との投げ合いのゲームが始めてです
1回途中に股関節を痛めた様子でしきりに下半身を気にしていましたが それまでのストレートは 信じられない伸びで 絵に描いたような「ムービングファストボール」でした
足を痛めた後は 若干球威が落ちましたが それでも秋村投手よりも良いボールを投げていました
秋村投手の見た目も重い剛球に対し 山田投手のボールは切れと伸びのある快速球でした
僕は山田武史のこと 一生忘れません 
Comment by ritz @ 2015/12/09 10:34 PM
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