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錯覚と本音と現実と

 俺は何度かブログで「自分の思い通りに塾をやっている」ことを書いた。しかし、8年目になった今現在で、自分の理想の状態かと言うとまったくそうではない。経営面は、開業前の青写真とはかなり異なる自転車操業を続けているが、そのことに不満はない。そんなことよりも、思い通りには行かないなあと感じるのは、生徒のことだ。

俺は最初、今のような厳しい指導の塾にするつもりはなかった。大学の少人数ゼミのように、生徒たちと知的交流をはかりながら、時には真剣に、時には笑顔で生徒たちを鍛えるような場にしたかった。しかし、実際は、授業中頻繁に塾長の怒鳴り声が響き、毎日、誰かしら怒られて泣きながら家に帰る。そうなったのは、結局、開校当初から俺の塾には勉強ができない生徒が多く入って来るからだ。

俺の塾は開校当初から学区トップの公立高校をめざす塾と謳っている。まだ1度も達成していないが、塾生の半数をトップ校に合格させるのが密かな目標だった。しかし、実際は6期生までで25%強という結果になっている。もちろん、開校当初は知名度も信用もないので、成績優秀者は歴史ある大手塾に持って行かれる。俺のような新参の小さな個人塾は、明日のジョーの丹下ジムのように、学校では平凡な成績な子の中からキラリと光る素質を見出し「なあ、兄ちゃん、俺と勉強チャンピオン目ざさねえかい?」と目をかけ、徹底的に鍛え上げるスタイルでトップ校へ逆転で押し込む時期が必要だ。

しかし、それなりに結果を出し続けて8年目を迎えても、俺の塾の門を叩くのは、相変わらず学校の勉強がかなり厳しくなってから入塾を希望する生徒が主だ。だからまた、叩き上げて押し上げるために激しい指導になる。先生という仕事をしている人ならわかると思うが、できない生徒の成績を上げた時、「あああ、いい仕事したなあ」と大きな充実感を得る。もともと、それを望んだ塾講師ならばよいが、俺のように、トップ校や上位校をめざす塾の場合、皮肉にもそのような充実を得れば得るほど、それとと引き換えに、「まだ見ぬ、教えたかった生徒」の足は遠のいてしまう。そしてその評判がまた「できない生徒」を引き付けることになる。

本音を言えば、俺はずっと「できる生徒」を教えたいと思ってきた。知的好奇心が旺盛な中学生を教えたいと思ってきた。勉強の姿勢だとか、やり方だとか、いちいちそういうことを怒りながら指導しなくてもいいレベルの生徒だ。言っておくが決してそれは楽だからではない。よく、できる生徒を教えるのは楽だとか、できる生徒は誰が教えても勝手に伸びるというのは、俺に言わせればド素人の戯言。できる生徒ほど先生の実力を測る目が肥えていて、適当でいい加減な指導をするとすぐに離れてしまう。できない生徒を上げるのが肉体労働ならば、できる生徒を指導するのは頭脳労働・精神労働である。もちろん、できない生徒をできる生徒にすればいいのだが、そううまく行くことはない。ものすごくできない生徒を、まあ何とかできるレベルにしなければならないことも多いのだ。

クラス分けも入塾試験もない集団塾の場合、いくらベテランになっても、どうしてもクラスで「できない子」にエネルギーや指導時間を多く割いてしまいがちになる。授業の進度も、「上に合わせる」と強く意識してもやはりどこかで「全員にできて欲しい」という気持ちが働き、甘くしたり、進むのを待ってあげたりすることも出てくる。そうすると、本来ならば「できる生徒」「もっとできる生徒」に注ぐべきエネルギーや時間が減り、その生徒たちを伸び悩ませる危険がある。俺は絶対にそういうことがないように気を付けているが、下手すれば塾長自身が気づかずにそういう塾になっているところもあると思う。

たとえば、基本的には誰でも入塾OKにしている1クラス編成の集団塾で、中3もいつからでも受け入れる塾があるとする。偏差値は上が70前後で、下は年によっては30台までいる。そういう塾の先生はきっと人情家だろうから、どんなにできない生徒にも、みんなと同じように丁寧に教える。また、授業はギャグや笑いを散りばめ、塾生同士の仲も良く雰囲気もいい。成績が厳しい子に当てて、俺ならば即答できなければ厳しい指摘が飛び出すのだが、そんな塾の先生ならば「生徒が答えるまで何分も待つ」だろう。アットホームな雰囲気なので、そこにいる「できる生徒」「できる生徒になる可能性がある生徒」たちの中には、もしかしたら大手塾に移る子も出るかもしれないが、居心地が悪くなければ大方そういう場面が度々あっても不満は出にくいだろう。しかし、こういう塾になってしまうと、本来ならトップ校に行けた生徒が2番手、3番手校に「納得して」行ってしまう。結果、年数や人数の割にはトップ校進学者の割合が低く、2番手校や3番手校への進学率が高くなる。得てしてこういう場合は、塾長を含め、だれも「錯覚」に気付かない。指導者は、「ものすごくできなかった生徒」をそこそこ上げて進学させた充実感があるから、そのクラスの中に、本当は適切に鍛えればトップ校に行けた生徒を2番手や3番手の高校に行かせてしまったのではないかという可能性に気付かないし、疑問も抱かないかもしれない。該当する生徒たちも、塾に楽しく通っていれば不満はないだろうし、保護者も自分の子どもがまずまずの成績を取り、まずまずの進学先も得て、なおかつ楽しそうに通っているのなら満足だろう。

つまり、一見するとみんなハッピーな状態の中に、可能性の芽を伸ばせなかった罪が、誰も気づかないところで潜伏していることがあるということだ。

集団塾では、上位に合わせたことによる下位成績者の犠牲は誰にでも顕著にわかる。しかし、それに比べ、下位に合わせたことによる上位者の犠牲は誰の目からも見えにくい。

俺はそういうことを考えて、ただでさえ少ない生徒なのだが、今年度から新規の途中入塾者に関しては門戸を狭くしている。小学生からいる生徒とか、中1の最初からいる生徒ならば学力が少々低くても責任を持って指導するが、中学の「途中から入ってくる、できない生徒」に関しては、できるだけ受けないようにしようと考えている。それは、俺がその生徒に全力を注いで成績を上げる充実感の裏側で、「できる生徒になるかもしれない」生徒たちの可能性を犠牲にしたくないという思いからだ。まあ、とはいえ、現状で既に受け入れている「できない生徒」が何人かいるわけであるが・・・。
ロカビリー * 教務のブルース * 23:45 * comments(2) * -

コメント

更新お疲れ様です。

いや〜耳が痛い!
我が塾は全くもってそんな感じです…。
ただ,他の講師は知りませんが,
ぼく自身は前の塾ではかなり厳しい先生でしたので,
今のこの状況は歯がゆく感じています。
逆にものすごい厳しい先生が成績を押し上げていない現状も
見ているので,細かなフォローをするしかないってのが現状です。

所謂できない子に合わせた授業をすると
「空気が弛緩」してしまって,仮にいい授業や話をしても
生徒に通じない(通じていない)場合があります。
Comment by きんぐ @ 2013/05/31 7:03 PM
きんぐさん

1クラス編成の入塾基準のない塾では、誰もやめないような運営はそれほど難しくないですが、全員の学力を最大限に伸ばすことは相当高い技量を要します。普通にやっているとだいたい上か下、どちらかが必ず犠牲になっていますね。
Comment by ロカビリー @ 2013/06/02 6:43 PM
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