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長哀歌(終)

 塾講師としての俺の重要な仕事の1つに「別れ」がある。

塾の場合、別れとは「退塾」か「卒塾」だ。出会った生徒とは必ずこの別れが来る。若さや情熱に任せてやっていると、教えている生徒にすぐに情が湧いてしまい、お互いになくてはならない存在であると思い込んでしまう。しかし、実際に退塾や卒塾の経験を重ね、それはやはり思い込みだったのだとわかる時が来る。青天の霹靂のような退塾で心を引き裂かれ、苦楽を共にした戦友のような生徒が卒塾して感傷に浸る。そのような別れを繰り返し、俺は生徒との別れを知った。まさに一期一会。別れるために出会い、別れるために指導する。それが自分の腹の中に根付いてからは、生徒との別れを以前に比べると随分冷静に受け止められるようになった。しかし、俺が高校生を教えていた20代は、まだまだ人間と人間の嘘のない関係にあこがれ、それへの執着も強く、だからこそ別れをきちんと受け止めることができなかった。

高校受験をともに戦った塾講師と生徒は、それを終えた瞬間にいっそう固い絆で結ばれたような感覚になる。中学生の彼らにとって、口うるさいだけの両親、つまらない授業と退屈な正論ばかりしか言わない学校の先生たちの中で、塾講師の存在は、人生で初めて出会った尊敬すべき大人である。自分の気持ちを正面から受け止めてくれた上で、時には厳しく接してくれる存在。最も説得力のある信頼のおける大人。誰が意図したわけではなくとも、塾と言う空間がそのような関係を演出する。指導する側にもちょっとした傲りが出てきてしまう。

ところが、高校生になった彼らと塾講師の間の関係は少しずつ変化する。高校生になると親の管理から解放され、学校教師の管理から解放され、新たに高校の管理下には置かれるものの、それは以前のものに比べると緩やかなものだ。また、彼らは新しくできた高校の友人や恋人と過ごす時間の優先順位が高くなり、相対的に、学業に打ち込むことや絶大なる信頼を寄せていた塾の先生への気持ちの熱は冷めていく。

指導する側の方は、生徒への気持ちは概して変わらないことが多い。中学時代に強い信頼関係で結ばれたと思っているので、そのままのスタンスで接するか、あるいは彼らを大人として認めたスタンスで接する。だからこそ、生徒が成長の過程で心の状態が変化することに困惑し、はじめは認められない気持ちになる。その困惑が焦りとなり、疑念となり、最悪の場合はそこで生徒と別れることになる。中学で厚い信頼関係があった分、高校で気持ちのすれ違いが起きると溝は深くなる。親兄弟の血縁関係や幼馴染等における近親憎悪に似た感覚になる。

過去、お互いに気持ちが強く結びついたことがあるからこそ、「なんで先生はわかってくれないのか」「昔のお前はそんなんじゃなかった」と、綺麗に結ばれていたお互いの気持ちに捻じれが生じ、摩耗し、修復できないほどまでささくれて細くなり、ついにはぷっつりと切れてしまう。もしも、中学までで別れていたら、「素晴らしい先生」「素晴らしい教え子」で終わっていたはずの関係が、生涯に渡って会うことはもちろん、思い出すことも避けたくなるような暗い出来事になるかもしれない。

そんな指導者と生徒個人の感情的な問題だけではない。大学進学という、高校生の将来の生活にとって重要な機会の責任を担いながら、誰にとっても満足な結果で終えることの難しさがある。膨大な研究量と、それを支える指導者の体力と気力、生徒の努力。それをことごとくクリアできて、中学生が高校入試で成功をおさめたように、高校生とともに大学入試を最高の形で終えることができた時、それはもう言い様のないほどの歓喜と興奮に包まれるだろう。俺もそれを求めていたのだが、俺には残念ながら得ることはできなかった。理由は、俺自身に大学受験指導者としての不足がさまざまあったからである。

10頁にもわたったブログは7年ぐらい書いてきて初めてだが、これが俺が高校生を指導しない理由である。・・・・というか、10頁も書いたが、一言「才能がないから」なんだよ、結局(笑)。

というわけで、長い長い哀歌を終える。正直なところ、今までで一番長く書いたが、こんなに自分で書いて「面白くない内容」はなかった(笑)。それにもかかわらず、どの回にも1000以上のアクセスがあった。読みに来てくださった方々には御礼申し上げたい。


ロカビリー * シリーズもの * 15:54 * comments(8) * -

コメント

ロカビリー先生こんばんは。

先生の身を切るような哀歌、心して読ませていただきました。

おっしゃるように高校生になると生徒はドライな関係を志向する者が増えるのに、こちらはそれに抗うからつらい思いをするような気がします。先生ほどの情熱はありませんでしたが、確かに勤務時代はそうした関係意識の齟齬みたいなものに歯噛みしたこともありました。なんか男女関係みたいでもありますが(笑)

今、自塾ではごく少数の高校生を面倒見ていますが、生徒達の志望やレベルからして強く関わる指導はしていません。予備校では週1回の関わりの限界から、あまり講義以外の働きかけはしないようにしています。猫ギター先生、上江州先生の高校生に対する深く強い関わりを伺うにつけ何とも羨ましく、また一方でこれをやったら体がもたないという思いが錯綜します。

塾の経営拡大というさなかに体を張って奮闘された先生の哀歌は確かにもの悲しい旋律かもしれませんが、そこでの経験は今先生が塾生の皆さんに力強く奏でる鼓舞歌の基調音を成しているのではないでしょうか。
Comment by gen @ 2013/11/21 1:30 AM
gen先生

私のつまらない過去の話に温かいコメントをいただきありがとうございます。

人生の様々な場面で、何度か他人と深く関わる場面がありましたが、そのたびに人間のことがよくわかるようになり、またそのたびに人間のことがわからなくなったものでした(笑)。大学受験を指導したこの経験もその1つでした。

そしてまたこの経験が、それまで指導に自信過剰気味だった私に「限界」を教えてくれました。ですから、今の自分の塾ではあの頃の経験を十分に生かすべく、大学受験の視点から中学生を指導することができていると思います。「中学生までの塾」でありながら、大学受験へしっかりと犠打(送りバント)を残せる指導を心がけているつもりです。きっとgen先生も、今現在高校生を教えていらっしゃいますからなおさらその視点はお持ちでしょうね。

私は今でも大学受験指導を担う先生たちに対しては、無条件に心の中でこうべを垂れてしまいます。
Comment by ロカビリー @ 2013/11/21 4:25 PM
初めまして。地方で個人塾をやっているやすと申します。私も今数人の大学受験生を指導しておりますので、先生の哀歌を大変興味深く拝見しました。日々試行錯誤の繰り返しですが、先生のブログから元気をいただいております。
Comment by やす @ 2013/11/21 10:27 PM
やすさん

大学受験、いよいよ追い込みですね。頑張ってください。
Comment by ロカビリー @ 2013/11/21 10:52 PM
はじめまして。いつも熱いツイート拝見しております。私はピアノ教室をしている者です。同業者でこのような熱い話をできる人はなかなかいないのが現状です。ですからたいへん興味深く読ませていただきました。
ピアノ教室は卒業というものはなく、退会するか長い長いおつきあいになるか、です。20年以上の付き合いの生徒達もいれば、続かない子もいる。私もこの歳になって、辞めても弾ける子を育てようと考えるようになり、少し楽になった気がします。また勉強させてください。
Comment by はむきち @ 2013/11/22 9:20 AM
はむきちさん

「辞めても弾ける子を育てよう」

これ、素晴らしすぎます。

私も「辞めた後」を大事に考えながら教えています。それがたとえ、お互いにとって不本意な辞め方であっても・・です。子どもに大切なことをを伝え、大切なことを残す。これに尽きますね。
Comment by ロカビリー @ 2013/11/22 3:07 PM
一通りこのブログを読ませていただきました。
私は教育関係者ではないのですが、自分の子供もこの塾に通わせたら成長してくれるかな?と思ってしまいました。しかし私の近所でもほとんど東進や日能研、サピ、四谷大塚などの超大手ばかりで、良い個人塾が閉鎖に追い込まれていてます。ほんとに残念でなりません。

大学全入のこの時代に、代ゼミは壊滅状態ですし、大手の予備校もDVDや映像授業にシフトしている今だからこそ、このようなアナログ的な個人塾の存在は貴重なのだろうと思いました。

Comment by みのりかわ @ 2013/11/25 1:43 PM
みのりかわさん

そうですね、何年もやっている小さな個人塾は、塾長が儲けを度外視し、命を削って子どもに将来を託しているところも多いはずです。
Comment by ロカビリー @ 2013/11/26 12:44 AM
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