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若い翼は(1)

だいぶ前の話だが、田中角栄の側近だった早坂茂三が生前ある番組に出ていて、「若い人たちに向けてのメッセージを」という最後の場面があった。彼は突然、涙を浮かべながら「若いってことはね・・・それだけで素晴らしいんだ。だから何でもやれ。たくさん恥をかけ。ただし責任は取れ。それで少しずつ利口になる。」と声を絞り出した。島田紳助は吉本の若手を前にして「僕は君たちの若さを10億円出しても買いたい」と言った。秋元康は車の中から、若者が終電に乗るために全力で走っている姿を見て「もう俺は、あんな風に全力で走ることはないんだ・・」と涙を流したという。若さの価値は、どんなに地位や名誉を得た人間であっても、それを失ってからはじめて実感するのだ。

俺は幸いにしてか、若い人たちを見て「羨ましい」と感じたことはない。それはたぶん、俺がまだ「若い」からである。若さは年齢ではなく気持ちだ。無知なこと、恐れないこと、根拠がないこと、無計画で無軌道なこと、未熟なこと、愚かなこと、無謀なこと、怒りをエネルギーにすること。これが若さの特長、特権だとすれば、俺はまだそれらをほとんど持っている。

このブログを書きだしたのは2006年。その後、いろいろな人たちに読んでもらい、ネット特有の批判や中傷も受けたが、それ以上に奇跡的な邂逅も経験することができた。俺が独立してからの塾人生とほぼ同じぐらいの時間を持つこのブログあるいはツイッターではあるが、今年度をもって、自分がつくった塾の授業をすべて離れ、友人(現副塾長)に引き継いでもらうことにしている。つまり、実質の引退だ。(ブログやツイッターの継続は未定)

そんな中、先日、京都のある若者から1本のメールが届いた。俺の塾を見たいというのである。これまでこのブログを通して県外から何人もの訪問者や見学者をお迎えした。しかし「学生」からの依頼は初めてだった。俺は素直に嬉しかった。俺は自分がつくった塾で本当に思い通りに、自分勝手にやってきた。自分の信念に忠実にやってきた。だからほとんど後悔がない。後悔があるとすれば、1つは「弟子」つまり、俺の塾魂の継承者を育てることができなかったことである。もちろん、京都から来るこの若者は、俺の継承者ではないが、若い人に「俺の塾」「俺の生徒」「俺という人間」を見て感じてもらえるだけでも嬉しかったのである。

しかも、この若者は京都大学の学生。頭脳が優秀なのは言うまでもないが、俺はある時からこの方のツイッターの発言を追っていて、言葉からにじみ出る真っ直ぐな気持ちに胸を打たれフォローさせてもらっている人なのである。それだけではない。俺はネットでは物事を主観で断定することが多く、文章口調も決して丁寧ではない。生徒の指導の様子でも、「泣かした」「ぶっ飛ばした」「怒鳴った」などの内容が多く、これらの言葉や文章が拡声されて脳に入ると俺の塾や俺自身へのイメージは相当に極悪のはず。それにも関わらず、数多くある全国の素晴らしい塾の中で遠路はるばる俺の塾を見たいと言ってくれたのだ。この時点で、この若者がどんなに清廉で真っ直ぐな精神の持ち主かがわかる。素直で真っ直ぐであるためには、そしてそれを持ち続けるためには「勇気」がいる。チキン・ハートでは子どもであろうが若かろうが「本当の素直な人間」にはなれない。

数年ぶりのブログだが、今回のこの若者との邂逅を何回かに分けて書きたい。この若者の名前は、みかみさんという。シリーズの中では「みかみ先生」と書かせていただく。


 
ロカビリー * シリーズもの * 17:02 * comments(0) * -

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