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塾のルール

「勉強を教える」というほぼ共通の目的がありながら、その理念や方針は塾の数だけ多様にある。塾の中で適用される「ルール」もそうだ。今日は、俺の塾のルールについて書く。

まず、俺は塾運営において「ルールは少ない方がいい」という考えを持っている。理想論になるが、最低限のルールで自由度や自律度が高い空間をつくりたい。しかし、そこは小中学生相手の塾。彼らは無知であり、理性や自らを律する力においては未成熟な子どもたちである。だからどうしても「ルール」が必要になる。では、地域でも群を抜いて厳しい塾という評判のわが塾のルールはどれほどのものか。

俺の塾には「塾規定」を18条まで明文化している。ただ、これは主に「保護者向けのもの」だ。1人でやっている個人塾でこのようなものを作っているところをあまり知らないので珍しいのかもしれないが、やはり保護者との「契約」についてはきちんとしておきたかった。つい昨日、別のところでご質問があったので項目だけでも紹介したい(さすがに全文は大変すぎる)

【第1条】指導姿勢
【第2条】塾へ通う手段
【第3条】通常授業
【第4条】特訓(講習)
【第5条】模擬試験
【第6条】休講
【第7条】臨時授業
【第8条】遅刻・欠席・早退
【第9条】授業延長
【第10条】授業料の支払い
【第11条】保護者面談
【第12条】自主退塾
【第13条】退塾言い渡し
【第14条】塾からの電話
【第15条】携帯電話所持およびインターネット・メールの使用
【第16条】安全配慮義務
【第17条】守秘義務
【第18条】塾内への持ち込みおよび使用禁止

こんな感じだ。

続いて生徒向け。生徒には「心得」を3つ定めている。

「積極姿勢」

これは俺の塾で最も重要なことだ。塾に入ってくるとき、帰る時に必ず「声を出して」挨拶をする。あいさつについてはこれだけで、授業開始や終了時のあいさつはやっていない。塾には時々、来客者がいることがある。塾の下の階で外部の人とすれ違うことがあるかもしれない。そういう場合も必ず挨拶をしなさいと伝えてある。余談だが、俺の塾ではいつからかトイレを借りる時に「トイレを借ります」、使い終ると「ありがとうございました」という習慣ができた。これは俺が命じたものではなく、自然にそうなった。このことは多くの来客の方が驚かれる。あとは「面倒くさい」「難しい」「やりたくない」「いやだ」などの否定的な言葉を発しないこと。塾内で他者(学校の先生、友人、親、他塾など)の悪口を言わないこと。

「柔軟思考」

困難があっても諦めずに、視点や発想を変えて柔軟に取り組むこと。勉強を楽しむこと。

「実現努力」

自分で決めた目標を実現するための努力を惜しまないこと。妥協しないこと。

以上だ。少ない。

これ以外に生徒に強調しているものとしては、たとえば規定の8条にある「遅刻欠席」について。

これについてはかなりうるさい。特に欠席は原則「熱が38度以上・嘔吐下痢が激しい・インフルエンザその他感染症・入院・親族の葬儀」のみ認めることになっている。これほど容体は悪くないが体調が思わしくないときは1度塾に来て授業を受け、容体が改善されなかったり悪くなったりして、こちらが無理だと判断した場合には早退してもらうことになっている。遅刻については、部活動等やむを得ない場合には必ず「授業開始前に保護者が連絡する」ことになっている。授業開始前に連絡のない遅刻は無断遅刻とみなされる。

「帰りの寄り道」について。
これも規定の16条にもあるが、かなり厳しく定めている(1発退塾の可能性あり)。

あとは、たとえば「服装」について。
これは意外にも・・・ない。自由な服装で構わない。

「塾内の飲食」について。
もちろん授業中の飲食は認めていない。休み時間に各自が持参した飲み物を口にするのは自由。食事に関しては、部活動等で食事をする時間がなかった生徒には、授業前や休み時間に廊下のソファで摂ることを許可している。また、長時間勉強会等では食事の時間を取って、教室で食べてよいことにしている。

上記のこと以外では、筆記用具や文房具についての指導、授業中の姿勢の指導などはあるし、休み時間に大騒ぎしたり、モノを投げたり、口笛なんかを吹いたら当然注意されるが、こういうケースは10年でほとんどない。
(入塾当初は姿勢の指導は割と多い)


ルールは多ければいいものではないし、多ければ秩序が保てるわけではない。それよりも、必要最低限のルールを徹底させることによって、その周辺のことにまで規律精神が波及した方が良い。つまり、ルールにはなくても「していいことか、いけないことか」を彼らが普段の雰囲気、隣の仲間、あるいはこれまでの俺の教えを照らし合わせて解釈し、感じ取るのである。子どもは未熟ではあるが、本当に大事なことをしっかり教え込んでおけば、そこから「感じ取る力」はある。ただし、それを教え込む人間、彼らの模範となるような人間がいなければそれは困難を極める。

ブログの読者の中には、俺が軍隊のようなガチガチに縛りつけた指導をして、生徒たちはブラック企業の異様なムードの朝礼のようにデカい声を出し、大リーグ養成ギブスを着用せられ、おまけに変なヘルメットを被せられ、北朝鮮のマスゲームを髣髴とさせるような動きをしていると誤解されている方もいるかもしれない。確かに生徒は俺を怖がっている。これまで経験したことがない怒られ方をして泣くこともある。クラスによっては休み時間も話さない学年もあるし、俺が冗談を言ってもまったく表情を変えないつれないクラスもある(笑)。しかし、実際に身に来られた方たちはおわかりだと思うが、生徒たちが抑圧され、萎縮しているような感じはない・・・はずである(笑)。

繰り返すが、子どもには絶対にルールは必要だ。しかし「ルールがたくさんあればよい」わけではない。そんなことをしているとルールや禁止事項を際限なく増やさなければならなくなるだろう。そうではなく最低限のルールを徹底的に叩き込み、あとは彼らがそれを正しく解釈して、ルール以外のところまで感じ取れるような場をつくっていくことが重要なのである。


 
ロカビリー * 教務のブルース * 22:25 * comments(0) * -

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