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俺は夢の中にいた(回顧録 

第1期生の話。

俺の戦闘力

(英語90・数学50・国語70・理科40・社会80・その他+α=総合指導力75)

第1期生はいろいろな意味で思い出深い。俺の塾は2006年春期から生徒を募集したが、初年度は中3クラスは開講しなかった。コンセプトが「普通の成績の子をトップ校へ」だったので、最低でも指導期間は2年欲しかった。それに俺は元々文系教科指導の人間で、理科と数学の指導経験はほぼない。数学は開塾前の1年間、個別指導塾のアルバイトで基礎テキストレベルの経験を積んだが、理科に至っては開校時点で完全にゼロである。この地域のトップ校に合格するには苦手教科があってはならない。どの教科も万遍なく得点力をつけなければならない。生徒にそのような力をつけなければならない中で、俺自身の知識や経験不足を十分に自覚していた。開塾前から県の入試問題を解いたり、参考書をまとめたりしながら「自主勉強」はしていた。しかし、実際の指導となるとまるで勝手が違うはずである。1期生から結果を出さなければ、すぐに地域に埋もれてしまうと思っていたので、開塾1年間は現場での指導を積みながら「受験指導」の構想、知識の仕入れ期間に使おうと思った。このブログで何度か書いたが、結果としてこの作戦は短期的には経営的には大きな痛手を被り、秋には資金ショート寸前まで追い込まれた。しかし長期的には、1期生から地域に注目されるぐらいの結果を出すことができたおかげで、その後の「トップ校のための塾」イメージが定着するきっかけとなった。

開塾当時「トップ校をめざす塾」と明言する塾はなかった。塾は近隣に10ぐらいあったが、どこも生徒数確保が第1であり、定期試験の点数を上げ、とにかく公立高校合格をめざす塾が最も生徒を集めていた。そんな中で俺は敢えてトップ校、しかも高校名を具体的に挙げて広告を打って出た。地域で何の実績もない新参者の塾がいきなり強気の宣戦布告である。

ビギナーズラックという言葉がある。塾や私立高校も、ビギナーズラックとは少し意味が異なるが、強気の宣伝をすると初年度はそれに期待して優秀な生徒が入ってくる場合がある。何の実績もないのに、新設ということと、トップを目指す塾(学校)であるということが、優秀な生徒の保護者の期待感をくすぐるのである。しかし、それに甘えて受け入れる側に知性が無かったり、彼らを育てる腕が無かったりすれば、その期待はたちまち裏切られた落胆と不信に代わり、評判は坂道を転がるように落ちて行く。そのような塾がすぐに姿を消したり、難関国立クラスを設置した私立高校がその後すぐにクラスを閉鎖したりする話は枚挙にいとまがない。

俺の塾では、中2の1期生が2名入ってきた。どちらも男子である。1人は大人しい子で、成績はオール3ぐらい。しかし、数学は好きで4だった。大人しいけれでも、俺が話しかけると笑顔で反応する。この子は伸びると思った。もう1人は、小学生の頃は他塾に通い、中学では通信添削をやっていた。利発な生徒で、はじめから相当に優秀であった。実際、中学でも成績優秀で認知されている生徒だった。この生徒が俺の塾に通ってくれたおかげで「今度できた塾に〇〇君が通っているらしい」という噂が立ち、あの子が通うならちょっと問い合わせてみようか、という流れができた。この生徒は入塾後も、俺をよく慕ってくれて塾に楽しく通っていた。幸運なことに、もう1人の大人しいオール3の生徒も、真面目で俺が言ったことを素直に実行してくれる生徒だったので、学校で目立たなかった成績が見る見る上昇し、以前の彼を知る生成優秀者が次々に抜かれ、それが注目され評判になり問い合わせや入塾へつながった。あらためて思うのは、塾にとって最大の広告は「優秀な生徒」と「優秀になった生徒」ということだ。

その後、生徒は少しずつ増え、彼ら1期生が中3に上がる頃には10名になっていた。(最終的には11名)4つの学校から集まった彼らは男女なく仲がよく、明るかった。1人1人しっかりした生徒が多かったので、俺が全体に怒ることはあまりなかった。俺の指導力と言えば、冒頭に書いている通り、今思い返すとかなり酷いモノだったと思う。数学はテキスト解説通りでしか解けず、理科の質問には即答できないことがしばしばあった。毎回、屈辱に叩きのめされ、歯ぎしりをしながら「二度とこんな思いはしないぞ」という怨念を持って教科書を読み直し、他の参考書等で調べ上げ、問題を解きなおした。彼らやその保護者たちは、そんな俺の指導に不満1つ言わず、全面的に信頼してくれたが、それがますます俺を奮い立たせてくれた。


それでも英語の指導だけは自信があった。恐らく、初年度から地域で英語指導だけはどの塾にも負けていなかったはずである。1教科でもそういう武器があれば、指導の要になる。他の教科で多少の不足があっても、そこで求心力は保たれるし、教科の違いはあれど、高校生に比べると高い専門性を要求されない中学生の教科指導の場合「指導の肝」「持って行き方」はだいたい共通している。そういう意味では、1教科でも極めているものがあると、その後の研究さえ惜しまなければ他教科への波及はそれほど難しくない。


俺は当時すでに37歳だったが、情熱だけで突っ走る1年目のルーキー先生のような塾長だった。教科の知識や指導の不足は生徒たちが各自で補い、俺は彼らに勉強に関係のない人生論をよく語り、そういうことが結果的に彼らの塾や勉強に対するモチベーションを高めた。俺の立ち位置はほとんどビーバップ予備校の大和龍門だった。

不合格者を1名出してしまったが、11名中3名の公立トップ校合格を始め、私立を含めると2番手校以上に10名が進学するという地域でも突出した結果を出すことができた。俺自身は塾の仕事以外でもかなり苦しい1年だったが、この1期生たちとの出会いは、俺の塾が地域で信用を得るとてつもなく大きな1歩になったことだけは間違いない。俺は明るく真面目な彼らのことが人間的にも好きで、毎回授業を楽しみにしていたものだ。

金もない。信用もない。知識や技術、そして塾長としての経験もない。俺にあったのは生徒や保護者に誠実を尽くす決意、覚悟、理想。あとは根拠のない自信と、負けてたまるかという気合いだけだった。


 

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