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俺は夢の中にいた(回顧録◆

第2期生の話。

 

戦闘力:英語100、数学60、国語70、理科50、社会80。その他+α=総合力85

 

塾開校の時、2期生はちょうど小学校を卒業し中学に上がるタイミングだった。このクラスははじめ1名入ってきて、公文に通っていたそうで、計算は早いが、まあ字は汚い生徒だった。2日目に塾がある日を忘れたこともあり、先が心配だったが何はともあれ来てくれて嬉しかったのを覚えている。同じ学校からさらに2名入った。開校時のチラシを読んでくださり、塾の方針に感銘を受けたということでこれもまた有難かった。どの生徒も反応がよく、出来もまずまず。明るいのが何よりいい。人間は明るくて綺麗なところに集まる傾向があるが、これは建物の外観に限ったことではなく、構成メンバーが創り出す雰囲気にも言えることだ。

 

俺の感覚は的中し、1人、また1人と口コミや生徒の紹介、保護者の紹介でこのクラスは同じ学校から男女バランスよくどんどん増えた。良く笑い、みんな仲がいい。中学に上がってからの点数も良好で、それがまた評判を生んだ。英語は完全に感覚を取り戻していた。他の教科は定期試験や質問の場数を踏みながら少しずつレベルアップしている実感があった。しかし、アドリブ(咄嗟の作問や質問対応)に弱く、そのもどかしさはいつもあった。

 

しばらくして、経営的には安定しているこのクラスに何か違和感を覚えていた。明るく反応が良いのはいいのだが、1人が話し出すと他の生徒がそれに反応し、いつの間にか教室が「先生不在」の雰囲気に流れようとするのである。俺がこの流れを戻そうとしても、生徒同士の「指揮者(俺)がいない勝手な演奏」が止まらない時があった。この頃から俺は生徒を厳しく怒るようになった。少人数の塾なんて雰囲気が何より大切だ。生命線である。ここが崩されたら、学習においてクラスだけでなく生徒個人の頭の中に何も積み上がらなくなる。これは絶対に避けなければならない。しかし、気が付いたときには既にマズイ状況になっていた。必要以上に生徒同士が仲良くなり、塾が「悪い意味で」自分たちの居場所になってしまった。ある時、1人の女子生徒が俺に怒られ、泣きながら故意に授業を妨害した。しばらく突っ伏して泣いていて俺は放っていたのだが、あろうことか、授業中に離れて座っている他の中学の仲良し生徒を名指ししてティッシュを持ってきてと頼んだのだ。名指しされた生徒はさすがにバツが悪そうにうつむいていたが、俺に怒られたその生徒はその後席を立ったかと思うと、矢庭に窓を開けて階下に飛び降りようとしたのである。授業を中断し、塾から外に引きずり出して話をしたが埒が明かず、家の人に迎えに来てもらうことになった。この日の授業はメチャクチャになった。

 

この生徒だけではなく、多くの塾生にとって塾が「楽しい(遊び)場所」になって、同時に「夜に友達に会える(遊び)場所」になった。成績はだんだん伸びなくなってきた。最初よかった生徒も、定期試験では努力で取れる国理社で明らかに手を抜くようになってきた。クラス内の出来の差も大きくなり、学力的に厳しく手がかかる生徒が立て続けに入ってきたこともあり、生徒は増えるものの運営がだんだん厳しくなった。

 

運営が厳しくなると、特に俺のように1人で塾を回す人間は焦ってしまい余裕がなくなってくる。余裕がなくなったリーダーは視野が狭くなり、感情のコントロールが難しくなる。短気になり、強引なやり方、たとえば怒り(恐怖を与えること)でチームを統制しようとしてしまう。俺もそんな感じになることがあった。板書を何度も写し間違える、確認テストで不合格になる、生徒同士の物の貸し借りの時に投げて渡そうとする。そういうことを見ると、普段の感情の5倍ぐらいの怒りで生徒たちを怒鳴りつける。何とか雰囲気を立て直したい一心で授業中に何度も話もした。1度、予め頼んでいた試験範囲表を誰も持ってこないことがあり「何だこの有様は!今から取りに帰れ。さもなくば君たち、全員退塾だ!」と言ったこともあった。このクラス、本気で全員退塾させようと思ったことは何度かある。

 

その後もなかなか雰囲気は改善されない。彼らの意欲も上がってこない。中2の途中から、約束を守れなかったり、虚偽を働いたりが原因で何人もの退塾者を出した(ほとんど退塾させた)。結局、一時期、十数人いたメンバーの多くが中3に上がる前に退塾した。新しいメンバーも入ってきたが、中3の夏合宿以降も俺にとっても生徒にとってもギリギリの指導が続いた。中3の貴重な授業時間に、何度も時間を潰して説教した。個別にも、生徒が震え上がるほど怒ったこともあった。イベントで何とか雰囲気を変えようともした。年末、徹夜勉強会をやったのもこの代である(そしてこれがあまりにキツかったのでそれ以降はやっていない)。直前期にまで退塾者を出し、最後に残ったメンバーは7名になった。

 

最後の授業で話した内容は覚えている。「君たちにはまだまだ説教しなければいけないことがたくさんあったけれど、残念ながらもう時間が来てしまった」。そんなことを話したと記憶している。

 

トップ校2名の合格は出したが、同じく2名のトップ校不合格を出した。最終的には7名中3名の不合格を出してしまい。1期生の11名中10名の合格に比べると、非常に厳しい結果となった。

 

2期生を送り出した後、とにかく疲れた。塾長として極めて不謹慎ではあるが、彼らが卒塾した寂しさよりも「ああ、やっと終わった」という解放感が大きかった。それはきっ彼らも同じ。俺たちはお互いに「塾から解放された」のかもしれない。俺が2期生から学んだことはたくさんあるが、その中でツイッターにも書いた記憶があるのは「初期に反応がよく、先生によくなついているクラス、生徒同士仲のいいクラスに注意せよ。その雰囲気を冷静に見極めよ。さもなくば必ず馴れ合いと横並び志向に雰囲気は停滞し、それを元に戻すことは困難を極める。」ということである。

 

お互いに「もういい」と思っていたであろう2期生。しかし、人の気持ちは分からないものである。彼らが卒業して最初の俺の誕生日に、みんなで押し寄せて差し入れを持ってきてくれたのだ。それから、2期生で最初に入った生徒で、俺が1番怒った生徒が別の機会で塾に遊びに来たのだが、彼がトップ校受験するとき、会場で群れを成す県下有名大手進学塾の生徒を前にして「俺はロカビリー塾の生徒だ!お前らなんかに負けるわけがない!」と思っていたことを教室で後輩に語っていたのを聞いて涙が出た。高校でも勉強の相談に来た生徒もいた。ほとんどの生徒が大学合格を直接報告しに来てくれた。

 

約束を何度も破って塾を辞めさせた生徒は、その後何度か街で俺に会ってもきちんと挨拶をしてきた。その生徒は別の塾に行って高校に行ったが、高校を卒業するときも俺に人生相談しに来た。

 

ものすごく手を焼いた生徒たちだったから俺は激しく怒った。彼らはきっと恐ろしかっただろう。しかし、俺の思い上がりかも知れないが、彼らは心のどこかで塾を愛してくれていたのかもしれない。俺を信頼してくれていたのかもしれない。まだ十分ではない当時の俺の教科指導だったが、俺は彼らに翻弄され、思い通りにことが運ばず、精根尽きるほどエネルギーを失ったと思っていた。しかし、それは違った。俺は彼らから大きくて温かいものを受け取っていたのである。2期生の指導のお蔭で、俺は間違いなく塾長として相当なパワーアップを遂げた。

ロカビリー * シリーズもの * 22:52 * comments(0) * -

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