若い翼は(4)終

みかみ先生の授業の後、今度は俺の授業を見てもらった。昨年夏に友人が来て以来、今ではやらなくなった「ダブル授業」を見てもらった。俺は今、中3しか教えていないので、この日来ていたもう1つの学年の中2のメンバーの学力や性格についてあまり知らない。それでもみかみ先生にはせっかく来てもらったのだし「ダブル授業」なんて今後二度と見る機会もないと思ったので、以前のようにうまく行くかどうかはわからなかったがやることにした。まあ、雰囲気ぐらいは感じてもらえたのではないかと思う。

恐縮だが、ここで俺の塾の生徒のことも褒めておきたい。俺は事前に「京都から先生が来る。経験も十分にある優秀な先生です。いつもと同じように授業を受けてください。」と伝えておいた。彼らはこの日、本当に普段通りの授業態度だった。こういうことができたのは、彼らが「素直」だからである。初めて見る先生に質問をする。どれだけ勇気の要ることだろう。今年の中3は大人しい子が多いが、彼らは静かでありながら積極姿勢だった。授業が終わっても、みかみ先生への質問が続き、先生は丁寧に対応してくださった。帰り際も「先生は中学時代どんな勉強をしていましたか?」「先生は中学時代、定期試験で何点ぐらい取っていたのですか?」と生徒がみかみ先生に質問する。やはり賢く優秀な若い先生、しかも優しい先生に生徒たちは憧れを抱くのである。中には子どもならではの奇想天外な質問もあった。「京都大学って、中学でどれぐらいの成績を取れば行けますか?」。いちばん面白かったのは「先生の今の偏差値はどれぐらいですか?」。みかみ先生苦笑い(笑)。

授業の後、食事にお連れして、いろいろな話をした。その中でいくつか質問も受けた。俺の授業のこと、ブログやツイッターの内容のことだ。その中で興味深かったのは「指名して発問するか。発問して指名するか。」という質問。俺はあまり意識していなかったのだが、この日の俺の授業はこれがほぼ50:50だったらしい。こういう観察眼や質問はさすがである。考えてみると、俺が「発問⇒指名」をやる場合は、その問いを1度全員で共有して考えて欲しい時。反対に「指名⇒発問」の場合は、だいたい既習の確認事項を当てる場合が多い。あらためて、こういうことを考えるきっかけを与えてくださったみかみ先生には感謝したい。あと覚えているのが、いつかブログで書いたのだろう、「なぜ、他の先生(塾)なら怒らないような小さなことまで怒るのか」みたいな質問だったと思う。「その気持ちは内面から自然に出るものなのか、ポーズなのか」というようなことも聞かれた。俺はあまり気の利いた回答はできなかったが「内面からです」「預かった生徒を絶対に上げたいからです」「自分の生徒が『絶対にできる』と信じて疑わないからです」「もしも預かった生徒を上げられなかったときに、生徒の責任にしたくないからです」「これが僕のプライドなんです」。そんなことを答えた覚えがある。これらの回答が、どれほどみかみ先生の期待に応えるものであったかは知る由もない。しかし、これが俺の「偽らざる本音」であることが伝わっていればそれでよいのである。あとはブログを閉鎖した理由も聞かれた。俺がどういう気持ちでブログを書いてきたか、ツイッターをやってきたか。なぜブログをやめたか。そういう話もすべて率直に申し上げた。

ところで、みかみ先生の洞察力に感心したことが1つあった。それは、みかみ先生が他人のツイートの内容やタイミングから、その人の意図を感じ取っていたことである。実は、これは俺もよくやることであるが、みかみ先生がこの日に俺に話した「読み」は、俺もそう思っていたということもあり「へえ、やるなあ」とさらに感心した。

みかみ先生は、日本でもトップの最高学府にいる。選択肢と言う意味では、それこそ可能性が多方面にある。研究者の道でも、一流の企業でも。しかし俺が驚いたのは、みかみ先生の気持ちの一部に「自分の塾をやってみたい」という思いがあることだった。こんなに頭脳明晰で真っ直ぐな人が教育の世界に入ったら、子どもたちはどんなに幸せだろうか。俺の本音としては、こういう優秀な若い方にどんどん教育に携わって欲しい。ただ、ご両親や周囲は少なからず反対するだろうけれども(笑)。そう、そのままレールを走れば安定した暮らしや仕事が約束されているかもしれない中で、敢えてそこからダイビングして、いばらの道に素足で飛び込むのは大変勇気が要ることだ。「そもそもこの道しかなかった」ケースとは雲泥の差があるのだ。人生は1度きり。楽しく生きた人間が「勝者」だ。

みかみ先生がどのような決断をされるのかはわからない。しかし、俺はこの勇気のある京都の若者に大いなる期待をして、陰ながらずっと応援して行きたい。そしてまた、こういう活きのいい若者と出会えた偶然に感謝したい。

みかみ先生ご自身もこの日のことをブログに書かれているので、同じ現場がお互いのカメラにはどう映ったのか。興味がある方は読み比べるのも面白いと思う。

最後に、俺が中学1年生の時、2つ上の学年の3年生の課題曲だった「若い翼は」という詩を載せたい。俺は音楽の授業とか合唱とかに関しては恥ずかしいほど不真面目な生徒だったが、この曲の歌詞だけがずっと頭に残っている。「何があるのか恐れもせず。弾む若い命ただ信じて」。なぜだかわからないが、30年以上前に偶然耳にしたメロディとフレーズが今でも鮮明に残っている。



 

流れゆく 雲のかなた

まだ知らぬ 未来求め

若い翼は 大空仰ぐ

悲しみの嵐ふくのか

寂しさの海続くのか

何が待つのか恐れもせず

何が待つのか恐れもせず

弾む若い命ただ信じて

弾む若い命ただ信じて

(曲「若い翼は」)




みかみ先生という、その若い翼はこれからどこへ向かうのだろう。「何が待つのか恐れもせず。何があるのか戸惑いもせず。若い命ただ信じて。」。力強く羽ばたいていただきたい。

以上です。

駅で出会ってから、塾に来ていただき、授業の後バカ騒ぎをして、閉鎖していたブログにその気持ちを書き表す・・・。みかみ先生という、1人の若者の高邁な志と勇気ある行動に対する、俺のささやかな、それでも気持ちを込めたせめてもの「お返し」である。

みかみ先生、ありがとうございました。八つ橋美味しかったです。福岡は初めてということでしたね。これからもずっと「福岡、ロカビリー塾、塾の生徒、わけのわからない研修会場、年齢不詳、妖怪館(笑)」のように、記憶のどこかに残してもらえると嬉しいです。

これで終わります。



 

ロカビリー * シリーズもの * 18:17 * comments(0) * -

若い翼は(3)

みかみ先生の授業開始時間が近づいてくる。この時間がいちばん緊張しておられた。特に用もなく立ち上がり、ウロウロされている(笑)。しかし、それも無理はない。ここに単身乗り込んできただけですごいことなのに、授業までやるのだから。俺は昨年東京へ行き、赤虎先生の塾では自己紹介と少し話をさせていただき、gen先生の塾では英語の授業をさせていただいた。その話をした時、みかみ先生が俺に「やはり緊張されましたか?」と尋ねられたが、俺は正直に「それはもう・・・まったく緊張はしませんでした」と答えてしまった(笑)。あそこは「もちろん、ドキドキでした」と言えば良かったかなと今になって思う。

さて、みかみ先生の授業。簡単に紹介をして前に立ってもらった。最初の数分だけ空気が硬かった。しかし、平方根に入って生徒を指名し始めてから徐々にペースをつかんで行かれた。

開始10分ぐらいで感じたのは「うまい」。俺がそう感じたポイントは6つあった。

まず1つめ。流れがある。

構成を考えていただけあって、授業が「流れ」ている。テキストの順番や書き方に頼り切った授業をすると、授業に流れができにくくなる。当たり前だがテキストはテキストの編集者の意図で編集されている。それをそのまんま、しかも導入でやってしまうと、味も素っ気もない。また、流れがないので、生徒集中力が高まる速度も鈍くなる。みかみ先生の授業は確かに目的へ向かう流れを感じた。

2つめ。空気のつくり方。

先生が緊張すると、それは生徒にも伝わる。みかみ先生に関して、まずそこは無難にスタートできた。次に声だが、大手塾などで研修を受けた、バカでかく「張った声」ではなく、話しかけるような声である。これは意外だった。塾講師ははじめどうしても緊張で声が出ないので、声を張るように研修されることが多い。それが当たり前になる。しかし、経験を積み、ベテランになるとだんだん声は「自然な地声」、場合によっては「囁くような声」でも生徒をグッと引きつける。みかみ先生はキャリア4年にして、「自然な地声」に近いトーンで授業をされていた。そして、歯を見せながらの笑顔を絶やさず、時折、関西弁のイントネーションが出る。この自然体の話し方で生徒も安心できたのではないかと思う。当てられた生徒が正解を言うと「そう!」と合の手を入れられ、教室全体にリズムが出てきた。

3つめ。区切り方。

説明をする。板書を写させる。問題演習の指示を出す。また説明に戻る。この区切り方は、ある程度経験を積んだ講師でも曖昧にしてしまい、生徒もだらけてしまいやすい。みかみ先生の場合、区切り方が明確なために、生徒も指示に従って動きやすそうだった。生徒は俺が授業をやっている時と何ら変わらない動きをしていたと思う。

4つめ。例の出し方。説明の工夫。

平方根を理解させるために「根」のイラストを描いて説明されたり、割れ物を段ボールに入れる時に新聞紙を使うことなどを例にとられたりして、生徒にイメージを与えていた。俺も非常に勉強になった。

5つめ。修正能力の高さ。

生徒に発問したり指名して当てたりしても、スムーズに答えが返ってこないことがある。そういう時、ヒントを出して正解に導く、あるいは、いくつか似たような問題を板書で挟んで再び指名し、生徒から正解を導きながら授業のリズムを上げていく。ただ、それでもこちらの想定通りにはいかないこともある。そんなとき、順調だった流れがガチャガチャと悪くなることがある。みかみ先生の授業でも途中、生徒がやや混乱した時間帯があったが、そこで大きく崩れることなく、辛抱強く生徒に訊き返されたり、別角度からのヒントを出されたりしながら「授業の流れ」に戻されていた。これは、なかなか高い技術が必要である。

最後に6つめ。時間の感じさせ方。

みかみ先生の説明は、聞いているとゆったりとした口調で、説明時間的にはやや長い(俺と比較した場合)。しかし、適度に間を置いたり、生徒に要所で当てたりしているので、説明の長さを感じさせない。必要な情報をしっかり盛り込みながら、ただ説明しっぱなしではなく、丁寧に生徒の頭の中に収納させようという意図を感じる。だからこの日、平方根の最初の授業としては、俺が例年やるよりもだいぶ先まで終えられた。「長く感じさせない」「多く感じさせない」授業の運び方は、相当な技術が要る。

その他。授業後の第一声と基本技術。

みかみ先生は授業後「悔しいです」と言われた。「どこか悪いところを指摘してください」とも言われた。俺からすれば、減点の余地のない授業だったと思うのだが、それだけ自分に厳しいということだ。「たとえ他人から見てよかったとしても、自分が納得できたかどうか」を重視する。俺も自分の授業に満足したことがほとんどないので、そういう意味でもプロ意識が高い。

あとは立ち方、板書の仕方等、所謂「基本姿勢」もきちんとできていた。ちなみに俺はこの辺、自分の塾生に関しては極めていい加減で、板書では平気で背中を向けるし、説明も生徒の顔を見ることなくホワイトボードを見ながらすることもある。板書も、よほど書き取らせる重要ポイントでない限り、読むのがやっとなぐらいの汚い字だ。良くないことなのかもしれないが、こういうのは、だんだんこだわりがなくなってくる(笑)。

そういうわけで「わるいところ」は本当になかった。それぐらい安定感があり、安心感の持てる授業だった。このレベルの授業ができれば、どこでやっても強力な即戦力だろう。仮に自分で塾を開かれたとしても、生徒の成績を上げ、生徒を引き寄せる塾長になる素養は十分にあると思う。

あえて1つ言うならば。授業の後にみかみ先生自身の口から「自身の授業の感想」をもっと聞きたかった。自分の授業をどこまで客観的に分析できたか。見知らぬ生徒に教えてみて、何が難しかったか。たった7人しかいない中3の生徒にどこまで入って行けたか。理解力、性格、スピードなど、およそ1時間40分の時間の中でどこまで生徒たちを把握できたか。

ただこれに関しては、授業後の宴の会場が、ゆっくり話ができるような雰囲気ではなかったので(笑)みかみ先生は悪くない。まあ、みかみ先生のことだから、きっとご自身のブログでその辺は何らか触れられると思う。







 
ロカビリー * シリーズもの * 02:40 * comments(0) * -

若い翼は(2)

学生の身分であり、今はアルバイトもやっておられないようだったので、そのような状況で身銭を切ってわざわざ来てもらうことに対して、俺ができることは1つしかなかった。前頁にも書いたが「ありのまま」を見て感じていただくことだけである。それと、せっかくの機会なので、みかみ先生には授業をお願いした。学生講師として4年間、京都の塾でチーフとしてやってこられた腕前をぜひ見たかった。ただし、完全アウェイの地で、はじめて会う子どもにガチンコの授業。これは、文章でこうして書くとあまり緊迫感は伝わって来ないのでもどかしいが、やる側に相当の腕前と度胸がなければ「ただの授業時間泥棒」に堕してしまう大変な他流試合なのである。教科は、みかみ先生の指導経験が豊富な数学で、単元は進度がちょうど因数分解まで終わったところだったので「平方根の導入」という、最も難しい単元の1つをお願いした。

みかみ先生を待ち合わせた駅まで迎えに行く。kamiesu先生から、以前に少しだけみかみ先生のことはうかがっていた。その話の内容と、普段のみかみ先生のツイートから想像すると、非常にまじめでシャイな方。あまり自分からは話をせず、どちらかと言えば相手の話を聞くタイプ。たぶん、親ほど年の離れた見知らぬ人間に会いに来るのだから、だいぶ緊張して来られるだろう。それならば、できるだけリラックスしていただこう。そんなことを思っていた。駅で待っていると、みかみ先生はすぐに現れた。メガネをかけ、確かに真面目そうな青年である。しかも、笑顔が自然な人であった。

ところで、これはあくまで俺の経験上の話なのだが、だいたい塾講師の70%はファッションセンスがダサい。私服がダサいだけでなく、スーツの着こなしもダサい。ワイシャツやネクタイの色のセンスも、履いている靴や持ち物もダサい。しかも、小中校と勉強に心血を注いできた人は、ファッションに興味を持つヒマもなく頑張ってきたと推測できるので、私服は「お前その服さあ、かあちゃんに買ってもらっただろう?」と突っ込みたくなるほどのものを纏っていることがある。もしも、みかみ先生が、変なチェックのボタンダウンのシャツをズボンの中にインして、妙にデッかいスニーカーかなんか履いてリュック背負ってきたらどうしようかと心配していた。しかし、それは杞憂に終わる。ラフではあるがシンプルに清潔感のある私服で来られていた。

みかみ先生が車に乗ってすぐに二人の会話が始まった。先生はそれほど緊張した様子もなく、硬さや人見知りな感じもなく、普通に会話のやりとりが続く。やはり1つには、ネットを介して知り合った人の「利点」がある。ネットで知り合った人間同士は、たとえ初対面でも、まったくお互いのことを知らない人とはちがう。文章を通して相手の考え方の一端をを垣間見ているし、場合によってはコメントのやりとりもする。だから、会話のスタートが案外スムーズに行くものだ。みかみ先生ともそうだった。とても感じのいい人だ。

この日の昼間にラーメンを食されたことは知っていたが、まず、みかみ先生をお連れしたのは塾よりも先に、俺が愛するラーメン屋「丸星」。みかみ先生は俺のブログをご存じなかったらしく、最近になって読んでもらっているようだったが、この「丸星」を、俺がいつか記事にした「潰れない不味いラーメン屋」と間違われていたのは可笑しかった。(※このラーメン屋は昨年惜しまれながら閉店した)

2食連続のラーメンでも、みかみ先生は嫌な顔ひとつされずに完食され、いざ俺の塾へ向かった。その時、1本の電話がかかってきた。kamiesu先生だ。ご本人は「様子伺い」という名目の「冷やかし」と仰っておられたが、この電話のおかげで2人の場はまた笑いに包まれ、みかみ先生もさぞ嬉しかったはずである。kamiesu先生の電話のタイミングはいつも絶妙だ。

電話での話が終わり、いよいよみかみ先生が俺の塾に足を踏み入れた。既に友人が塾に入っており、お互いに自己紹介をしてしばし談笑。使用テキストと、中3生徒のレベル、座席表などについて確認。やがて、みかみ先生は授業の準備に取り掛かられた。座ってからすぐに集中モードに入られた雰囲気があったので俺は席を離れ、あまり話しかけないようにして、その授業準備の様子を雑務をしながら時々見ていた。

みかみ先生は普段、上位クラスを担当されていたようで、偏差値は悪い子でも50台後半らしい。俺の塾の生徒は下は偏差値40から上は65超えまで差がある。全体的に見ても、みかみ先生が教えられていた生徒よりはレベル的には下かもしれない。しかし、俺がその話をした時、みかみ先生は「いえ、大丈夫です!」としっかりと答えられた。そしてまた授業準備に入られた。問題集を眺めながら、ノートにメモのようなものを書かれている。何やら図もある。たぶん、授業構成の確認だ。俺はそれをチラチラ見ながら、今日、みかみ先生がどんな授業をされるのか楽しみで仕方なかった。先生が想定された予定時間は80分ということだっが俺は言った。「時間は気にされなくていいです。先生が区切りがいいと思ったところまでやってください」。

ここで生徒の保護者から電話が入る。この生徒はこの日来る予定の中3だったが、いろいろな事情があってここ数日食欲がなく、この日も学校を休んでいた。はじめ親は塾を休ませようとしたらしいが、特に頭痛や腹痛、熱などがあるわけではなさそうなので説得し、塾には来ることになった。みかみ先生にも念のためその旨を話した。みかみ先生は俺の話を真剣な眼差しで聞いていた。俺は人と真剣な話をするときに、相手の「話を聞く姿勢」をものすごく気にする癖があるのだが、みかみ先生のその雰囲気は「他人事」の話を聞く様子ではなく、まるで俺の塾でずっと講師をやっていて、ずっとこの生徒を受け持っているような顔だった。せっかく来ていただいたのに、こういう難しい状況になり申し訳なかったが、みかみ先生の姿勢が嬉しかった。

余裕を持って塾に入ったが、気がつけば授業開始時間30分前。
間もなく生徒たちがやって来る時間だ。(つづく)





 
ロカビリー * シリーズもの * 00:12 * comments(0) * -

若い翼は(1)

だいぶ前の話だが、田中角栄の側近だった早坂茂三が生前ある番組に出ていて、「若い人たちに向けてのメッセージを」という最後の場面があった。彼は突然、涙を浮かべながら「若いってことはね・・・それだけで素晴らしいんだ。だから何でもやれ。たくさん恥をかけ。ただし責任は取れ。それで少しずつ利口になる。」と声を絞り出した。島田紳助は吉本の若手を前にして「僕は君たちの若さを10億円出しても買いたい」と言った。秋元康は車の中から、若者が終電に乗るために全力で走っている姿を見て「もう俺は、あんな風に全力で走ることはないんだ・・」と涙を流したという。若さの価値は、どんなに地位や名誉を得た人間であっても、それを失ってからはじめて実感するのだ。

俺は幸いにしてか、若い人たちを見て「羨ましい」と感じたことはない。それはたぶん、俺がまだ「若い」からである。若さは年齢ではなく気持ちだ。無知なこと、恐れないこと、根拠がないこと、無計画で無軌道なこと、未熟なこと、愚かなこと、無謀なこと、怒りをエネルギーにすること。これが若さの特長、特権だとすれば、俺はまだそれらをほとんど持っている。

このブログを書きだしたのは2006年。その後、いろいろな人たちに読んでもらい、ネット特有の批判や中傷も受けたが、それ以上に奇跡的な邂逅も経験することができた。俺が独立してからの塾人生とほぼ同じぐらいの時間を持つこのブログあるいはツイッターではあるが、今年度をもって、自分がつくった塾の授業をすべて離れ、友人(現副塾長)に引き継いでもらうことにしている。つまり、実質の引退だ。(ブログやツイッターの継続は未定)

そんな中、先日、京都のある若者から1本のメールが届いた。俺の塾を見たいというのである。これまでこのブログを通して県外から何人もの訪問者や見学者をお迎えした。しかし「学生」からの依頼は初めてだった。俺は素直に嬉しかった。俺は自分がつくった塾で本当に思い通りに、自分勝手にやってきた。自分の信念に忠実にやってきた。だからほとんど後悔がない。後悔があるとすれば、1つは「弟子」つまり、俺の塾魂の継承者を育てることができなかったことである。もちろん、京都から来るこの若者は、俺の継承者ではないが、若い人に「俺の塾」「俺の生徒」「俺という人間」を見て感じてもらえるだけでも嬉しかったのである。

しかも、この若者は京都大学の学生。頭脳が優秀なのは言うまでもないが、俺はある時からこの方のツイッターの発言を追っていて、言葉からにじみ出る真っ直ぐな気持ちに胸を打たれフォローさせてもらっている人なのである。それだけではない。俺はネットでは物事を主観で断定することが多く、文章口調も決して丁寧ではない。生徒の指導の様子でも、「泣かした」「ぶっ飛ばした」「怒鳴った」などの内容が多く、これらの言葉や文章が拡声されて脳に入ると俺の塾や俺自身へのイメージは相当に極悪のはず。それにも関わらず、数多くある全国の素晴らしい塾の中で遠路はるばる俺の塾を見たいと言ってくれたのだ。この時点で、この若者がどんなに清廉で真っ直ぐな精神の持ち主かがわかる。素直で真っ直ぐであるためには、そしてそれを持ち続けるためには「勇気」がいる。チキン・ハートでは子どもであろうが若かろうが「本当の素直な人間」にはなれない。

数年ぶりのブログだが、今回のこの若者との邂逅を何回かに分けて書きたい。この若者の名前は、みかみさんという。シリーズの中では「みかみ先生」と書かせていただく。


 
ロカビリー * シリーズもの * 17:02 * comments(0) * -

こっそり

こっそり開けておこう。(しかし復活ではない)
ロカビリー * MCあれこれ * 00:56 * comments(4) * -

学力は「誰のもの」か

 もしかしたら、全国でも同じような中学校があるかもしれないので書いておく。

俺の塾に通う塾生の、ある中学校で何ともヘンテコリンなイベントがある。


通常の放課後や、この入試直前の冬休みも、毎日朝から学校へ行って2時間程度「共同学習」みたいなことを「しなければならない」らしい。勉強ができる生徒ができない生徒へ教える「学び合い」のようなもの。

だいたいこういうものの理念は決まっている。

みんなで協力して、知識を共有し合い、塾に行けない子や勉強ができない子への支援、勉強ができる子にとっては人に教えることで自らの知識をさらに深める・・・まあ、こんなところだろう。しかし、ちょっと待ってほしい。

たしかに、経済的な事情等で塾に行けない子もいるだろう。極度の学力不振で高校進学が危うい生徒もいるかもしれない。しかし、そのことが塾に通っていい成績を取る生徒や、他の学力が高い生徒たちの貴重な時間を「奪う」理由になるのだろうか。

もっとはっきり書こう。俺はこういう仕事をしているので断言してもいいが、生徒同士の「教え合い」「学び合い」の効果はほとんどない。たとえば、うちの塾では「友だちの家で一緒に勉強をする」ことを禁止しているぐらいだ。特に「できる生徒ができない生徒を教える」図式の場合、「できない生徒」へはわずかに効果があるかもしれないが、「できる生徒」にとっては時間と労力の浪費で終わる。辛うじて効果が期待できるとすれば「できる子同士の教え合い」だ。それに、こういうことを成功させるためには、現場に複数の教師の監督下で、よほどシステマティックに行わなければ「いいことやってますよ」というポーズで終わる。

「できない生徒」が真摯に取り組んでいるのかと言えば、そういう生徒ほど一生懸命に教えてくれる友人を茶化し、真面目にやらない絵は容易に浮かぶ。勉強ができる生徒は、これまで自分でコツコツやったり、塾に通って勉強したりしてその学力や成績を得てきたはず。その間、できない生徒たちやその家庭の多くが、子どもの学力を向上させるための家庭教育も投資もせず、好きに遊び遊ばせ放題でこの現状があるとすれば、このイベントはますますおかしい。

さらに深刻な問題。それは「できる生徒」はそれだけ高い偏差値の高校を受験するので、合格も確実ではないはずであり、つまり「弱者」視点が行き過ぎて、それによって大きな不利益を受ける側の視点があまりにも見えないことだ。学力が高く成績が優秀な生徒ほど、本当なら特にこの時期は寸暇を惜しんで適切な場所での学習、あるいは適切な指導の下での学習が必要なはずだ。その機会を思い切り奪っているのである。

わが地域は歴史的に「人権の町」であり、県を上げて人権学習とやらに莫大な予算をかけ熱を入れている。その実、単なる利権構造の1つに過ぎないのだが。

とにかく「持つ者が持たざる者へ」の精神と言えば聞こえはいいが、このことが「持つ者」の学習する機会を、皮肉を込めて言えばそれこそ「人権蹂躙」している。

学力とは誰のものか。

俺は常々、生徒に話す。君たちが勉強して学力をつけ、知識を身につけるのは、自己の成長はもちろん、それを他人や社会に役に立てるためなのだ、と。だから本来、学力を含む「個の能力」は、個人の私利私欲の充足で終わるのではなく、何らかの形で他とシェアされることが望ましいということは正論だと思う。

しかし、このことと、現在も行われている「学び合い」は、まったく意味がちがう。どこをどう見ても「自分だけ学力を独り占めにするな。お前も勉強ができない人の気持ちをわかれ!それが助け合いの精神だ!」という間違ったコンセプトによって、一部の受験生が足を引っ張られているようにしか思えないのである。

もしも。もしもだ。学校で行われるこのような偽善的とも言えるイベントによって、「できる生徒」の第一志望校の不合格が「塾の責任」になるのであれば、正直やってられない。

いや、そんな責任問題以上に、この「学力をシェアする行為」に見せかけた「学力を奪う行為」は、将来活躍できる子どもの可能性をも奪いかねない社会的大罪だと思う。

ロカビリー * シャウト * 18:10 * comments(6) * -

訪問の礼儀(序)

 2014年が開けた。2006年に塾を開いて、9年目になる。

開業とほぼ同時に自分の塾の記録としてブログを始めたのだが、そのおかげで出会えるはずもない方たちとの素晴らしい出会いがあった。「ネット交流」という言葉があり、それはややもすれば実社会における交流のアンチテーゼのように批判されることもある。確かにそのような側面があることは否定できないし、そこには人間の最も素直な部分と最も醜い部分、それから仮面と虚飾に満ちたものが溢れていることも実感としてあった。しかしながら、実際に文章から始まる出会いを経験した俺にとって「ネットがきっかけ」というのは決して悪いことではななく、「世界が広がった」というよりも「世界を深めてくれた」感覚があり、それは同時に自分と改めて向き合う貴重な機会だった。

俺はこのブログがきっかけで、また、たまたま読み始めた他の方のブログがきっかけで知り合い、楽しい時間を過ごした時はできるだけここに書いている。俺が勝手にしていることであるが、そうすることが相手の方への礼儀だと思っている。

しかし、これまでブログを通じて出会った方々のことをすべてここに書いたわけではない。書かない理由は2つ。1つは、相談事である場合。こんな「ロカビリー」という匿名の人間に相談を持ちかけるというのは大変勇気が要ることで、緊急性が高いものもあった。いくら匿名だと言ってもそのご本人がご覧になられている以上、やはりその心情を慮ると内容を軽々と書くことはできない。相談事ではなくても、話の内容が深刻なものである場合、やはりここに書くわけにはいかない。また、相手の方から何となく「書いてもらいたくない」という雰囲気が感じられた時は、勝手ではあるが、相手の方に確認も取らずに書くのを控えている。

ブログに書かないもう1つの理由。それは、俺が「書く気になれない」とき。自分の中で、その方と過ごした時間の面白さをできるだけ臨場感を込めて書きたいと思うのだが、俺自身の熱が完全に下がってしまうほど気持ちの盛り上がりはなく、それどころか言動の端々に不快感さえあった時。

今回は、そのような「書かなかったケース」のいくつかを綴りたい。本来ならば、そのようなことは大人なのだから胸三寸に納めるべきであることは承知している。まあ、言うなれば「陰口」に変わりないわけだから。しかし、それでも書こうと思ったのは、しばらく経って考えてみても、やはり「それはおかしいだろう?」という俺の気持ちに変化がなかったことと、恐らく、相手の方は、そのおかしさに気付いておられないということ。そのような方たちとは、だいたいそれ以降は疎遠になることがほとんどなので、今でも俺のブログを読んでおられるのかどうかさえわからない。ただ、もしも読んでおられれば、他の複数の方が「え?それ自分のことかも」とネットの文章にありがちな誤解を生じさせる書き方をしない、つまり、もちろん名前は出さないが「はい、あなたのことです」とご本人にだけズバリわかる書き方をするつもりである。

そしてもう1つ。

ネットで、あるいはネットでなくても塾の先生が知り合いとなり、勉強のために訪問する。やろうと思えば簡単にできる。しかし、これをご覧の方で、これまで訪問された経験がある方も、これからどこかの塾へ訪問してみたい、またあの塾長と会ってみたいと思っている方たちも十分に気をつけていただきたいことがある。

それは訪問する側は、旅費交通費やその他自塾の時間調整、場合によっては宿泊費や手土産等、大きな出費や時間をかけて訪問されているわけであるが、負担や犠牲が大きいのは圧倒的に「受け入れる塾側」だということである。たしかに、訪問を受ける側は「お客様」として歓迎してくださるかもしれないが、よほど懇意でない限り、塾にとって何よりも大切な「通常授業を邪魔しに行く」ことを忘れてはならない。やや不謹慎な言い方を許してもらえば、「受け入れる側には1円の得にもならない機会」なのである(「見学料」を取っている吝嗇塾は除く)。したがって、お客様として迎えてもらうことにそのまま乗っかってはならず、形式的なお礼ではなく、きちんと相手塾の感想を言葉にして述べるのが最低限の礼儀である。

俺は基本、よほど最初のアプローチが無礼でない限り「お会いしたい」「塾にお邪魔してもいいですか」という依頼を断らない。これからもできるだけそのようなご依頼はお受けしたいと考えている。そうすることで、1人でやっている個人塾の風通しになると思っているからだ。俺にとって風通しとは、自分以外のプロに塾や授業を具に見ていただき、できるだけ詳細で具体的な(感覚的でももちろんいいけれども)ご感想をいただいたり、ご質問を受けたり、お話をしたりすることでそれらが「風」になり、再発見や刺激になることである。それだけでなく、いらっしゃる「人」とどんな話ができるのか大変楽しみでもある。

これからどこかの塾に訪問したいと考えている方は、このシリーズを一読していただき、「受け入れる側」の心情を少しでも理解してもらいたい。そしていざどこかへ訪問するとき、地元の手土産を携えるよりも、訪問先で1つでも多くのことを観察して学び、それをしっかり先方の塾長に伝えることの方を何倍も考えてもらいたいものである。



ロカビリー * シリーズもの * 16:08 * comments(0) * -

東洋医学の神髄と怪しさ

 俺は高校の時に腰を痛めてしまい、以来、整体、指圧マッサージの類の場所にはかなりの時間と費用を投じてきた。もともと筋肉が硬くなりやすく、凝りやすい。冬場は特にそれがひどくなる。

何人の人からマッサージを受けて来ただろうか。それこそ、もう数え切れない。これだけたくさん受けてくると、最初の「一押し」で、その施術師の腕が分かってしまう。特に「マッサージ店」は国家資格のない無資格者がやっていることも多いので、この世界も玉石混交であるが、厳密に言えば「玉」は奇跡的な確率でしか出会うことがない。

俺の場合、初めて行くところでも、できるだけ長い時間でやってもらうので、ヘタクソにあたってしまうとちょっとした拷問だ。ここで、マッサージをあまり経験したことがない方のために、少し役に立つことを書こうと思う。

まず、マッサージの施術師は男性と女性がいるが、指圧系ならば絶対に男性スタッフの方がいい。女性の場合はまず、力が弱いことが多く、指の腹や掌で圧を賭ける時も接触する面積が小さいので、経絡(ツボ)へのあたりがあまりよくない。

次に、ツボをまったくわかっていないスタッフが結構いる。本当に、ただ子どもの肩たたきレベルで適当に抑えているヤツ。こういうヤツは、一丁前に「うわあ、ガチガチですねえ」なんて言うが、凝っている所ではない筋の部分を掴んだりするので、下手をすればケガをしてしまう。このタイプはかなり多い。ちなみに、マッサージを受ける場合「凝ってますねえ」「むくんでますねえ」というのは三流レベルの常套句で、それにいちいち「え!そうなんですよ、よくわかりますね」なんて驚いてはならない。よく考えたら「当たり前じゃねえか!」という話である。それはまるで占い師が「あなたには悩みがありますね」「え!何でわかるんですか!」みたいな茶番であり、気付かずに驚く客はアホである。

俺がこれまで受けたマッサージで「神技」だと感動したのは、20代の時に仕事場の仲間と行った群馬県のホテル専属のマッサージ師だった。値段も安く、終わった後、明らかに体が羽のように軽くなったのを実感できた。あとはもう何百と受けてきても「まあ、うまい」「けっこううまい」レベルで、「へたくそだなあ」という数は相変わらず多い。

そんな中で、あまりにもバカバカしくて怒る気にもならなかった経験がいくつかある。1つは、某所のサウナに泊まった時、そこのマッサージを受けたのだが、担当のオバサンの話である。このオバサン、やたら指を立てて押してくるので結構痛い。はじめは他愛もない話をしながらやってもらっていたのだが、そのうち信じられないことを言いだした。

「私はねえ。マッサージしていると、指が勝手にお客さんの体の悪いところに向かって、そこを押すと自分の指も痛むの。だから、つらいの。」

これを冗談ではなく、真面目に言っている。マッサージと言うのは基本、受ける側はリラックスし、施術師が押してきたときには息を吐き、手を離したときに息を吸う呼吸が重要なのだが、笑いをこらえるのに必死で体に余計な力が入り、ますます痛かった。何なんだよ、そのハンドパワーは!(笑)と心の中でつぶやいた。

2つめは翌日にライブ出演を控えたときに、不注意にも前日に首を痛めてしまった。我慢するにはちょっと痛みが大きかったので、とりあえず近所の「接骨院」という看板を目ざして入った。中に入るとそこは「カイロプラクティック」の治療院と言うことだった。

「すみません、首を痛めてしまって。すぐに治さないといけないんですが」

俺は首をバキバキ鳴らしてもらい、スッキリして足のライブに出るイメージを持っていたが、担当の人はなかなか首をさわろうともしない。「首を右に回してください、左に回してください」と言ってきたが、痛くて回らない。それを見た担当の人が「では、これから治療します」というので、手技か器械で牽引でもするのかと思った。俺はとにかく目を閉じてじっとしていた。

ん?なかなか触らない。それどころか「はーーー。ほーーーー。」という不気味な息を抜く声が聞こえてくる。薄目を開けると、なんと、その担当者はMr.マリックのような手つきで俺の首に「気」を送っていたのである(笑)。まじかよ?ちょっと勘弁してくれよ、怖え〜。

その担当者は俺に座るように指示して、また首を右に回せ、左に回せ、と言ってきた。「どうです?さっきよりも回るようになったでしょう?」と言ってくる。俺はきっぱり「いえ、さっきと変わりませんが」と答えると「うーん、おかしいですねえ」と言って、再び「気を入れる」儀式がはじまった。これが2回ほど続いて、正直、まったく改善もなかったし、一刻も早くこんな怪しい治療院から出て行きたかったので、俺は「あ、でも、だいぶはじめよりも首が回るようになりましたね」と思い切り嘘をついた。担当者はカルト信者のような不気味な笑顔を浮かべながら満足そうにしていた。これで5000円ぐらい取られた。

最後に書くのは、俺にもまだその真相がよくわからない「不思議な体験」である。昨年、6期生を送り出してから疲労がどっと出てきて、原因不明の背中の痛みに見舞われていた。首の下あたりの背骨が痛むような、じっとしていても、寝ても痛む厄介な症状である。どんな姿勢でいてもつらい。俺は最初に内科に行った。そこでロキソニンという市販では最も強い痛み止めをもらって飲んだが改善しなかった。次に外科に行った。そこでレントゲンを撮ると、たしかに首の骨にズレが見られると言われた。ロキソニンが効かなかったことを医師に告げると、その医師は驚いた顔をして笑いながら「それで効かないとなると、もう麻薬レベルを投入しないとだめですよ」と言った。とりあえず、薬をもらい、当時通っていたキックボクシングのジムもしばらく休んだ。

1か月たってもよくならない。もしかしたら深刻な病気なのかもしれないという気持ちもありながら、とりあえず、この痛みを取らないと、眠ることさえままならない状況だったので、一か八かでネットで検索して評判がいいという小さな整体に行った。

そこでは柔道部出身の院長が出てきて、アンケートと説明をしてきた。押し付けがましいことは一切なく「こちらを信用できない、あるいは話に納得できなければ治療を受けない方がいいですよ」とまで言われた。説明はきちんと人体の骨や血液の話を理屈立てて、ちょうど中学生の理科で教えるような内容も入っていた。この治療院でも所謂「バキバキ系」はやらないということと、治療は3回目で変化が見られ、5回目で改善が見られるので最低5回は通った方がいいと言われた。治療は、主に脳の血液をきちんと流すことで痛みを和らげるということだった。・・・おい、・・・またそういう話かよ(笑)。1回の施術代は5000円。俺は覚悟を決めた。「25000円捨てるつもり」でもう1度だけ、東洋医学の神秘に足を踏み入れた。

ベッドに仰向けになると、首を少し持ち上げられしばらく静止。その後足の方へ回り、腰を少し上に持ち上げられる。これでお終い。時間にして15分少々。これで5000円。えええええ!こんなので5000円?もちろん、漢方などの処方もない。こんなのなら誰かにやってもらえるじゃん。

俺も、もう意地だ。金を捨てるつもりで5回は通う。2回目、3回目。治療は同じ。改善も全くなし。4回目。さすがに「まだ痛みが取れないんですが」と訴えたら、仰向けになる前に5分ほど腕と首を回す運動をした。そしてまた仰向けになり、首を持ち上げられ、足の方へ回り腰を持ち上げられる。

5回目。やはり同じ治療内容。そして予定していた5回が終了。

最後に院長から話をされる。「また辛くなったら来てください」。

良心的でいいんだけれども、こっちはほとんど痛みの改善を感じない。やっぱり、今回もだまされたか。ああ、仕方ない。話のネタにしよう。

その日も、イテテテと何回か寝たり起きたりしながら眠った。

朝になった。あれ?痛みが消えている?ロキソニンも効かなかったのに、マジ?

それ以来、痛みは再発していない。


これ、実話である。

果たしてこの件、整体の治療の効果なのか、俺が偶然「治りかけ」のころに通い出し、自然治癒で痛みが消えたのか。

未だに謎である。








ロカビリー * 人生のブルース * 16:01 * comments(0) * -

ありがとうございました

 数日前に書いた「I miss you so」の歌詞の聞き取りにつきまして、発音・意味・構文・文法のすべての面からおおよそ正確であるだろうという段階までわかりました。アクセスを頂いて動画を見てくださった方々、考えてくださった方々、また、実際にご意見をくださった方々、誠にありがとうございました。


聞き取りに苦労した難関箇所は以下のようになりました。


I thought that you say we'll never part, my dear.

And now, I'm longing for you to, girl, be near.

これ、まさか「, girl, 」の呼びかけの挿入があるなんて思いもよらなかった(笑)。

俺には「, girl, be near」が「grab me near」と聞こえていたわけだが、これじゃあ無理もない。

でもすっきりしたので、これからしっかり自分の歌にしようと思う。

ロカビリー * 音楽はサイコ― * 17:46 * comments(1) * -

ある問い合わせのブルース

 本日、ある問い合わせがあった。4月ごろ1度塾見学に来られおよそ8か月後に再度電話をして来られた保護者である。ちなみにこのご家庭は双子で、どちらとも現在近くの塾に通っておられる。


保護者「あの・・以前授業見学をさせていただいた( )ですが・・・先生、お時間よろしいですか・・」

俺「( )さんですか・・。あ・・はい、覚えております。」

保護者「実はあれからもずっと考えておりまして・・」

俺「まだ塾には通っているんですよね?」

保護者「ええ、そうなんですけど。相変わらず、先生は怒らないし、宿題をやってもやらなくてもあまりチェックもされないし・・。本人は先生が優しく、お友達も多いから気に入っているんですけど親としては、これじゃあ、ただ遊びに行ってるだけなんじゃないかって・・・」

俺「まあ、大きな塾の場合はだいたいそうなりますね」

保護者「特に上の子が全然やる気がないみたいで、それでもやっぱり塾の先生は怒らないんですよね。実は前回見学させてもらった後、別の大手塾にも1日だけ体験に行ったんですが、そこもまあ今の塾と同じような感じで。でも、電話攻勢がすごくって(笑)。かたや先生は1度も電話かけてきませんでしたよね。だから、それがかえってものすごい印象的で・・」

俺「はい、私はお電話番号も存じ上げませんし(笑)。まあ、普通は塾にとって生徒や親は大切なお客さんですからね。」

保護者「先生のところだったらうちの子みたいな生徒は絶対に怒られますよね?」

俺「状況にもよりますが・・ええ、まあ間違いなく。」

保護者「うーん・・・このままでいいのかと・・親としては先生の塾に入れたいのですが、お友達のお話(俺のことを相当怖いと言っている)や前回の見学ですっかり怖気づいてしまって・、なかなか行くって言わないんですよね」

俺「本人が『行きたい』とは言わないまでも、『行きたくない』という状況まで後ろ向きならうちの塾はダメですね。私は子どもを遠慮なく怒りますし。やる気の部分に関しては、場合によってはお辞めいただくこともあります。」

保護者「ああ、そうなんですね。本人も今の塾にそれなりに楽しく通って不満もないというのがまた・・」

俺「そうですよね。しかし、私が個人的に思うのは、小学生や中学生の塾は子どもに決めさせるのではなく、親が信頼して預けられるところにするべきだというのはあります。小中学生に塾の良し悪しの判断はできません。」

保護者「ああ・・・なるほど。近所の◎◎さんや××さん、それから最近入ったと思いますが△△さん、どなたにお聞きしても先生の塾を大絶賛されていて・・。それにお話していると、失礼ですが先生がそんなに恐い方には思えないんですけど・・」

俺「今、お名前を出された方たちもみなさん、1度は怒られています。泣きながら迎えの車に乗り込む姿もあったでしょうし、子どもが塾をやめたいと訴えたこともあったでしょう。ショックで1時間ぐらい泣きやまなかった子もいます。ですから、私の塾が絶賛されるような大そうな塾というより、保護者の方のご理解があるということですね。」

保護者「その点、下の子は普段あまり怒られるようなことはしないので打たれ弱い気がします。上の子は態度や発言が悪いことがあり、さんざん私から怒られてもケロッとしてますから堪えないと思いますが・・。」

俺「ああ、あの、こう言っては変ですが、親御さんや学校の先生から怒られるのと、私から怒られるのはまったく別世界、別次元とお考えください。今まで味わったことのない強烈な衝撃だと思います。親や学校の先生から怒られて平気だというレベルでは、うちで大丈夫かどうかの判断材料にはなりませんね。」

保護者「・・そんなに・・ですか・・。えー・・・お話していると全然そんな感じがしないのに、想像がつきませんね・・・。」

俺「そうなんですよ。想像を絶する怒られ方と思っていただいていいと思います(笑)。」

保護者「ちなみに・・・どういう時にどんな感じで・・?」

俺「そこは案外シンプルです。誤解していただきたくないのは、無闇に怒ることはしません。私が厳しく怒るのは、絶対に許せないことをしたときです。3つあるんですが、1つはやる気がない態度を見せた時。2つめは、宿題をやってこなかったとき。3つめが、わからないところをそのままにしたときです。それ以外で怒られることはほとんどないので、塾生にも怒られない子もたくさんいます。

保護者「ああ、それは3つとも本来大切ですよね。でもそういうのをきちんと厳しく指導していただけることってないですものね・・」

俺「はい、ほとんどないと思います。私は子どものダメなところはダメだとはっきり言います。言い訳や反論は一切させません。他の誰かのせいではなく、完全に君がが100%悪いのだと認めさせます。もちろんそれによって子どもは傷つくでしょう。これが成長するために大切なことだと思いますので。」

保護者「でも、それでみなさんよくついて来られてますよね。」

俺「もちろんみんなではありません。今、私がお話しているように、入塾前にこれだけ念を押した上で塾に入っても、途中で辞める方はいます。それでもここ数年はだいぶ退塾者は減りましたけど。ですから、本人に少しでも頑張りたいという気持ちがあることと、親が子どもと絶対にやめさせないと固く約束をしない限りは難しいですね。それを乗り越えたら、学力も精神力も必ず強くなります。」

保護者「・・・んー・・・どうしましょう・・・」

俺「私の塾に興味を持っていただいていることは大変ありがたく光栄なことです。ただ、私も真剣にやってますので、預かるからには全面的に任せていただきたいし、せっかく受け入れたのに続かずに途中でやめる可能性があるならば最初から入れない方がいいですね。」

保護者「これまでの塾のイメージではダメだと言うことですね・・」

俺「そうですね。適切な喩えではないかもしれませんが、私の塾に入る場合は、子どもを修行する寺か武道場に入門させるぐらいの気持ちでちょうどいいかもしれません(笑)」

保護者「(笑)なるほどー、そうですね。わかりました。」

俺「では、十分にご検討下さい。」


ねえ?いいのこれ?

こんなんで俺の塾イイの?新規入塾希望、しかも双子だよ?閑散とした小学生のクラスだよ?(笑)しかも、親はかなり気持ちが傾いてるんだよ?それなのに、こんなトークでいいの???



まあ、いいんだよこれで(笑)。みなさん、笑っといてください。




ロカビリー * 経営のブルース * 22:11 * comments(0) * -
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